5期カレッジ隊活動レポート
2011年3月5日(土)
スケジュール6:00出発 【写真】 |
各車両より
4号車:朝ポーサットに行くためにプノンペンから国道5号線を右にトンレサップ川を見ながら北上し、途中イスラム教を信仰する(従ってモスクもある)チャム族の村を過ぎ田園地帯をつき進むと1時間あまりで左前方に山並が見えました。その山の中腹に複数の仏塔が見えます。それが王都ウドンの仏跡だそうです。更に5km程いった所に中国が作った高架橋が見える付近に17世紀頃日本人町があったそうです。その日本人町には当時島原から渡ったと思われるカトリック教徒が住んでおり、カンボジアに初めてカトリック教会を作ったといわれています。その場所ではポルトガル人も住んでおり、そこで栽培されたカボチャを天文年間ポルトガル船で日本に運び、それがどこから来たものか日本人が問いかけたときカンボジアから来たからカボチャと名付けられたという逸話もあります。
先に進むとただ一面に広大な穀倉地帯が広がっており所々で人がのんびり、ゆったりとした生活を送っているのが見られました。更に進むとランドセルを背負った小学生4人を見かけましたが、後で聞くと、日本のNGOの作った小学校の児童ということでした。トゥールロケアン小学校に入った時、そこの風景が私の少年時代過ごした秋田の田舎の風景にあまりにも良く似ており、遠い昔を思い出しました。(遠藤惇)
5号車:本日は、プノンペンからポーサットに移動し、トゥールロケアン小学校にて資材の積み下ろし作業を行いました。移動距離はプノンペンからポーサットまで228kmあり、3時間半ほどかかりました。途中、かつての王都ウドンやモスク(イスラム寺院)を見ることができました。
ポーサット見渡す限りの平原で、水牛の歩く姿、子ども達が動き回る様子は正に私がイメージしていたカンボジアの田園風景でした。ここで暮らしている方は、朝に仕事をして、午後3時頃に再開するまでハンモックや床で昼寝をしていました。これを見て、日本から来た私たちだけが暑さに弱い訳ではなく、現地の方も同様に暑さには気を付けている事に気付きました。
私たちも彼らを見習い、暑い時は無理せずにブランコ建設作業に取り組んでいきます。(田中宗一)
6号車:本日はプノンペンを離れ、北西200km程のプルサット州(ポーサット・菩薩の意が由来とのこと)へ移動しました。都市部の喧騒とは違うゆったりした時間の流れる景色が印象的だったと思います。
これだけ土地を広大に持っているところを目の当たりにすると、カンボジア人のおおらかな国民性にも頷けるような気がしました。車窓から、ふと思ったのは、学校はあっても病院などが市街地に行かないと見当たらないということです。お伺いしたところ、コミューンとしての診療所などは存在するかもしれないが、やはり病院は街に行かないとないのではないか、とのことでした。しかも、診療所も医療というよりは伝統療法が続いているところも多いそうです。例えばコインで身体をこすって頭痛を鎮めたり、全身を吸引するといったものがあるそうです。こうした例をはじめ、様々な分野においての支援はまだまだ足りていないのが現状なので、何かの事態や命の危機に直面するような状況を如何にしてなくしていくことができるか、ということについて、広大な土地やおだやかに暮らす人々、草を食べる牛などを見ながら考える一日になりました。(森勇樹)
レポート係より
本日は、プノンペンからポーサットへの移動の際に車窓から景色の変化を楽しむことができました。プノンペンは狭い場所に多くの店がひしめき合い、交通量も多く、人々の活気が溢れています。一方、ポーサットは見渡す限り大地が広がり、サトウヤシが数多く見られ、その中で人々は牛や鶏と共にのんびりと高床式住居で暮らしています。私は、遠くまで広がる台地を眺めながら、人間は地球に住まわせてもらっていることに改めて気付かされ、ポーサットの人々のように、自然や他の生き物と共生することの大切さを実感しました。
先日見学したJHP主催の絵画展では、『未来のカンボジア』というテーマに基づく作品が展覧されていて、多くの教員養成学校生徒達が、立ち並ぶ高層ビルや多くの車で混み合う道路など、現在の先進国にしばしば見られる様子を描いていました。しかし、私はポーサットの景色を見て、将来カンボジアがどのように発展したとしても、自然や他の生き物との共生という地方ならではの良さをなくさないで欲しいと思いました。(今村芽生)
*本日、短期日程組が予定通りプノンペンに到着しました。全日程組と短期日程組は3/8より合流となります。
*ポーサットにてブランコづくりのため、次回のレポート更新は3/11の予定です。