4期カレッジ隊活動レポート
2010年2月27日(土)
スケジュール7:00 朝食 |
本日の報告者より
今日最初に訪れた王宮は、1866年にノロドム王が当時の首都ウドンから遷都したときに築かれ、1919年フランス人建築家によって現在の状態に再建されたものです。隣接するシルバーパゴダは、同じくノロドム王治世下に創建された寺院であり、代々王室の仏教行事が行われてきました。私は、昨年タイの王宮にも訪れたことがあるのですが、金や朱色、緑、白のコントラストがはっきりした仏教建築や、西洋とタイの建築様式が融合した建物もある絢爛豪華なタイの王宮と比べ、少し大人しめの、淡い黄色を基調としたカンボジアの建築物からは、それでいて逆に美しく、落ち着いていながらもとても勇壮な印象を受けました。
続いて訪れた国立博物館では、アンコール・トムを建造したジャヤヴァルマン7世やヴィシュヌ神、シヴァ神、仏陀の像を中心に様々な発掘物を見ることができ、今まで私たちが学んできたポル・ポト時代以降のカンボジアの歴史や、さらに遡って西洋が東南アジアに進出してくる時代より以前の、豊かな悠久のクメールの歴史に思いを馳せながら、その文化を感じ取ることができました。その一方で、博物館の外では、私たちの車が到着すると物乞いの子どもたちが寄ってくる現状があり、なんともいえない複雑な心境になりました。
セントラルマーケットは改装中で、通常の1/3のエリアしか営業されていませんでしたが、ポストカードやTシャツ、本、ノート、帽子など、皆思い思いのお土産を購入していました。ナンプラー工場で、メコン川で採れる魚から、塩や水と合わせてナンプラーがつくられる様子を見学した後、ワット・プノンへ向かいました。
伝説によると、14世紀末、ペンという裕福な夫人がいました。ある日、夫人はメコン川に流れ着いた仏像を発見し、近くの丘に寺を建立して、その仏像を祀ったそうです。その丘は、この信心深い夫人にちなんで、「ペンの丘」、すなわち「プノン・ペン」と呼ばれるようになり、それがこの町の名前になったというのです。また、その寺が現在のワット・プノンなのです(ワットとは寺院の意味)。ペン夫人の像は小さかったですが、多くのお供え物や装飾が施されており、現地の方が、線香を持って参拝している様子も見られました。本堂は黄金の仏像とそれを取り巻くようにたくさんの仏像が祀られ、とても神秘的な印象を受けました。
というわけで、今日は国際協力から少し離れ、カンボジアの歴史を感じるプノン・ペン市内散策の一日を皆で満喫しました。(加藤伸治)
各車両係より一言
1号車:本日も晴天の中、プノンペン市内を走るワゴン。しかし、急に警察官に道をふさがれ通行止めに。どうやら道で結婚式が行われるために通れなくなり遠回りをすることになってしまいました。ハプニングでも問題ないよ!(ノープロブレム!)とドライバーのトンブンさんは言っていました。王宮に向かう道中の中で、二人乗りバイクについての話題が出ました。後ろに乗っている女性がほとんどの場合が横乗りで手に何も捕まっていないような状況がほとんどなので「どうしてなのだろうか?」と疑問に思っていたら答えが出ました。運転手の腰に手を回したり、捕まったりする行為は「デートしましょう」「私はあなたと付き合っています」等のOKサインとの噂です。皆様もカンボジアに訪れた際には、バイクに乗ったときに安易に手をつかまぬよう気をつけましょう。(中村史穂)
2号車:午後、ナンプラー工場へ向かう途中、トンレサップ川に架かる日本橋から川岸に高床式のトタン屋根の小屋のような家が立ち並ぶ一方、対岸ではコンテナ置き場にタンカーが止まりコンテナを乗せていました。そこに発展を続けるカンボジアの象徴的な姿を見たような気がします。また朝食時に靴磨きの少年たち、セントラルマーケットで物乞いをする子供達、昨晩も行き交う車の間で車の窓拭きをする少年や少女を目にしました。今日訪れた王宮や博物館の周囲では手や足のない人、手足に障害を抱えた子どもたちが観光客相手に商売をしており、この国では子ども達やハンディキャップを持った人たちも少しのお金を得るために働いていることを実感しました。カンボジアに来て、知っていることと目にすることはやはり大きな差があるということを感じました。(小濱渉)
レポート係より一言
本日はプノンペン市内観光ということで、住民の普段の生活を見ることができました。セントラルマーケットで日用品を買う様子や、ワット・プノンで熱心にお祈りをする様子などをよく見ました。また、今まで以上に外を歩いたので物乞いをする人を多く見ました。学校に通えない子ども達や、身体障害者の方の物乞いをみて、複雑な気持ちになりました。私の想像より随分発展していたプノンペンですが、まだまだ援助が必要なのだということを感じました。
そして、ナンプラー工場に行く途中私たちは車で『日本橋』を渉りました。日本橋とは日本がODAを利用して作った橋です。橋ではたくさんの車が通っており、活用されている事を実感しました。(内藤亜実)