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南三陸町活動レポート

災害救援募金にご協力ください。当会は国税庁より認定NPO法人の資格を取得しました。
皆様からのご寄付は、税制上寄付金控除の対象になります。
*東日本大震災に対するJHPの動きを「ヒューマンパワー便り」でもご覧いただけます。

2011年3月25日(金)

活動メンバー:木村・芳賀・麻田・立花
報告者:芳賀・麻田

00:40 
・吾妻PAでガソリン給油。このあたりから、北上するにつれ気温がどんどん下がり始める。
01:08 
・国見PAでガソリン給油のため寄るが、軽油のみ取り扱いで給油できず。
01:40 
・菅生PAで給油。最大2000円分までの規制あり。
02:10 
・南部道路から東部道路へ入り仙台東、三陸道に乗るはずが通行禁止のため多賀城からは三陸道に入れず。津波の猛威として、玉突き事故のような状態で車が連なって被害を受けていた。あまりの惨状に一同驚く。また深夜のこの時間から、ガソリンスタンドの翌朝の開店を待つ長蛇の列に遭遇。
02:55 
・松島より三陸道に入る。
03:15 
・矢本PAに車を止め、3時間の仮眠を取る。

06:35 
・矢本PAにて、災害派遣の自衛隊車に多数遭遇。異常な数。断水のためトイレは使用不可。
06:40 
・矢本PAを出発、南三陸町へ向かう。
07:20 
・南三陸町に入る
07:28 
・戸倉折立地区、壊滅状態。志津川方面へ向かう。
07:45 
・ベイサイドアリーナ(大型避難場所/仮設町役場/遺体安置場所等)に到着。
08:00 
・佐藤仁(サトウジン)町長と面会。JHPの活動を紹介(リーフレット、会報、活動記録集)、今回の救援活動について相談。町長より避難所や被災の様子について説明を受ける。南三陸町社会福祉協議会担当者の紹介を受け、被災後は歌津に仮設移動した事務所へ移動。(被災前は志津川の元中学校跡)
・ 担当課長へ挨拶、現状説明を受け打ち合わせを行う。町の職員240名中のうち36名が亡くなられ、その他多数が行方不明。多くの中間管理職の命が奪われたこと、また、生き残ったスタッフが被災者支援に集中せざるを得ず通常業務が滞っている。
・ 災害ボランティアセンターの立ち上げは、社会福祉協議会近畿ブロックからのスタッフ派遣を受けて、準備中。(3月26日に開設)
・ 不足している物資と十分な物資があるにもかかわらず、情報がきちんと整理されていない状況。
・ 全国から様々なNPO団体が支援の依頼を行ってきているが、原則、素性の不明な団体はお断りをしているとのこと。
12:20
・JHP東京事務所より運んだ物資をベイサイドアリーナ支援物資搬入口へ下ろす。
・東京からのレンタカーの返却時間が迫っているためボランティアの立花さん(小山内事務所所属)は帰京。芳賀職員のつてで移動のためにダンプカーをお借りする。
・避難所に一緒に逃げてきていた雑種犬(タロウ)に、JHPボランティアの森田さんよりいただいたドッグフードをあげる。喜ぶ。ワンワン。
14:00 
・災害ボランティアセンターの設置準備。テント6張を設置。
・ボランティアセンター付近には、世界初、磁気による発電システムが設置されるための準備が着々と進む。
15:00 
・南三陸町社会福祉協議会仮設事務所(歌津:平成の森)に移動し、JHP物資の整理。
16:00 
・社会福祉協議会近畿チーム(ボランティアセンター設置チーム)と打ち合わせ。ボランティアセンターの設置に向けて、役割分担や今後のスケジュールを打ち合わせ。
16:30 
・南三陸町社会福祉協議会の全体ミーティング参加。JHPメンバーはボランティアとしてではなく、社会福祉協議会のチームの「一員」として紹介をいただく。
17:00 
・夕食。自衛隊の炊き出しのおすそわけをいただく。
18:00 
・JHPミーティング。東京事務所へ本日の報告。必要物資等の依頼。

まとめ

 今回の第2次隊派遣は、JHP の活動拠点の設置及び、今後の活動内容を模索する重要なミッションであった。壊滅状態の南三陸町に入り、その被災状況の甚大さに愕然とせざるを得なかったが、JHPは町長への面会、また町職員からの紹介で猪俣課長へ紹介があったこと、芳賀が南三陸町出身であること、また、ボランティアで参加した麻田が中越震災時にボランティアセンターの立ち上げから運営に関わった経験があることから、ぜひ起動力としてサポートをしてほしいと快い受け入れをいただくことができた。異例の快諾であり、また、立ち上げという初動の時期から関わることができるのは、非常に特別なポジションと経験である。一方で責任も重大、確実な信頼を得られるようしっかり対応していく必要がある。

追記

1.大型避難場所である「ベイサイドアリーナ」には仮設の町役場が設置されたばかりで
あり、徐々に役場職員が従来の業務に就きはじめている。
2.南三陸町にある避難場所は47箇所であるがまかないきれず住民の一部は他市町の避難場所に滞在中。また家屋崩壊が免れた個人宅へ親戚や近隣宅など4世帯が避難しているなど、個別に暮らしている箇所も結構あるらしい。
3.南三陸町住民約18,000人のうち避難住民は約9,000人、行方不明者は約8,000人、残る約1,000人が個人宅などに避難している住民。
4.ベイサイドアリーナ駐車場一部にコンテナ10基ほどが急ピッチで設置中。これらは公立病院、開業医等運営のため設置されるそう。
5.基本情報
南三陸町は市町村合併により旧志津川町と旧歌津町が合併され「南三陸町」となった。
災害ボランティアセンターが設置された避難所「ベイサイドアリーナ」は志津川、寝泊りさせていただいている「平成の森(南三陸町社会福祉協議会仮設事務所)」は歌津にある。