第0回 長谷川 賢治 さん
インタビューシリーズは2009年から始まりますが、2008年末に第0回として長谷川賢治さんにお越しいただき、事務局の中込さんとともにお話を伺ました。長谷川さんは現在はソフトウェア会社に勤務されています。JHPのホームページ・リニューアルでは、長谷川さん作成のHTML自動生成ソフトが作業効率向上に大いに貢献してくれました。
覚えていることにすごく意味がある |
|
倶楽部 | JHPの活動隊に入ったきっかけは? |
長谷川 | きっかけは、テレビを見たことですね。 |
倶楽部 | 小山内代表が出ていた番組ですか? |
長谷川 | 1999年、大学1年の時にサンデーモーニングという番組で代表が話しをされていて、それで興味を持ったのが始めですね。 |
倶楽部 | その前に海外でボランティアをやってみたいなーっていう気持ちは? |
長谷川 | なかったですね。まずボランティアについてあの時代そんな情報も無かったし、ボランティア活動自体知らなかったですし。 自分は昔シンガポールとマレーシアに住んでいたんで、アジアに興味があって、それで面白そうだなっていうのがきっかけですね。マレーシアにも物乞いの人がいましたし、そういうのもかぶって。 |
倶楽部 | じゃあJHPがアジアで活動しているのが大きかったんですね。 |
長谷川 | 学生で時間があったのと、テレビを見た感じでは皆さん生き生きしていたので、興味を持ったのが最初です。その後ホームページで連絡先を調べて、「興味あるんですけど」って電話をしたら、報告会があると言われ、報告会に行ってみたら今度合宿があると聞き、合宿に行ってみたら刺激が多くて、それからちょくちょく来るようになりました。 |
倶楽部 | それで2000年3月隊に参加したんですか? |
長谷川 | そうです。カンボジア隊の前にもチャリティーイベントなどに参加し、ボランティアどうこうより、JHPに面白い人が沢山いるな、学ぶべきことが多いなと感じました。メンバーは大学や専攻、職業、そして年も全然違うじゃないですか。そういう人たちが集まっている場が、面白いなっと感じていました。 |
倶楽部 | まだ10代だったんですか? |
長谷川 | 私もあの時18ですよ。もうすぐ10年前です。 |
中込 | 初めての合宿でね。僕はケンジに海に落とされたんですよ。 |
長谷川 | あはは、会も分からないですし、組織の運営方法、構成も分からなかったですからね。事務局って上の先輩だなくらいに思って、飲んだ勢いで海に落としたみたいな…。今考えてみるとひどいですね。 |
倶楽部 | カンボジアに行って、一番印象に残ったことは何でしたか。 |
長谷川 | 自分には何もできないなっていうのが一番最初のイメージですね。ボランティア行く前ってみんな何かできる、何かしようって思っいだと思うんですよ。でも行ってみたら自分は微力で本当何もできないですよ。
ブランコ建てるんだったら、自分達よりも、現地の人が穴掘った方がめちゃめちゃ速いんです。こっちは力も無いじゃないですか。素人ですよね、単なる。素人が行って何もできないなって。 それでも現地の学校で3日間くらい作業をすると、その真ん中の日くらいに村長さんとかが、みんなにご飯を振舞ってくれるんですよ。自分たちは何もできない、本当に決められたことをやっているだけなんだけど、あっちの人は喜んでくれるんで、行く意味はあったなとも感じました。だったらもっと色んなところを見てみたいって思いましたし。 話は飛びますけど、JHPでユーゴにも行かせてもらいました。ユーゴスラビアって以前は裕福な国で、ヨーロッパが近いから援助もめちゃくちゃ来るんですよ。カンボジアも援助はあるほうですけど、ユーゴはもっと援助が来ます。衣食住が足りているから、どこのキャンプでもみんないい格好しているし、お菓子も食べてます。 私はNATOの空爆があった一年後に行ったんですけど、ユーゴの人たちが、「物資は来ているけど、ニュースにも取り上げられなくなってきて、忘れられているのが恐い。日本という遠い国からわざわざ来てくれたのがすごく嬉しい。だから忘れないでくれ」と言っていたことがすごく印象に残っています。 現地のボランティア活動に参加するのも大切だけど、覚えているっていうこともすごく意味があることだなっていうのが、今続けている原動力ですよね。 続けているって言っても大してやっていないですけど。何かしら関わっていきたいし、新聞も読むようになりました。色んな情勢を知ろうとも思ってます。それが全く無意味なことかっていうと、そうでもないなって。 だから、小山内代表もおっしゃってますけど、「できることからはじめよう」ってそういうとこだと思うんですよ。知らないことを知ろうと思うとか、他の国の人が今何しているのかなって思うことも一つの小さなボランティアになるんじゃないかって。ちょっと話が脱線してしまいましたけど。 |
知ろうという気持ちが起きるどうかで全然違う |
|
倶楽部 | 2000年3月隊に参加したんですね |
長谷川 | 2000年の3月行って、その後ユーゴに行くボランティアを募集しているっていうのでユーゴに行って。で2001年にまたカンボジアに行きました。 |
倶楽部 | 2回目はどうでした? |
長谷川 | 2000年3月隊はメンバーの半分が10代という非常に若い隊で、これまでで一番悪い隊だと散々怒られたんですけど、2001年は経験者が5人いて、ブランコに関してはすごくいいブランコを作ったという自負はあります。でもみんなが優秀すぎて、学べるものが学びきれなかったかなっていう寂しさもありました。 |
倶楽部 | じゃあ3回目は? |
長谷川 | 2003年、大学4年の時スキッパーで。その時も経験者が3人いたんで、隊長、副隊長、もう一人、じゃあスキッパー、梶取り役っていう意味らしいですけど、そんな役職で行かせていただきました。 3回目は自分は大学院に進むので時間があって、人がいてこそJHPも色んな活動ができると思ったので、これまで先輩に育ててもらった分、次を育てられたらなっていうので行かせてもらいました。 |
倶楽部 | 後輩達に対してどう思いましたか。 |
長谷川 | ボランティアに興味持ってる人って積極的ですし、すごく純粋ですし。その後次の隊で行った人、チャリティーを引っ張ってくれた人、会を盛り上げてくれた人も沢山いました。行った甲斐はあったと思います。 |
倶楽部 | 初めてカンボジアに行ったのが18才で、2回目が20才ですか |
長谷川 | 19才で行ってですね。次2回目がハタチで、3回目が22才でしたね。 |
倶楽部 | じゃあ活動隊での経験を通して大人になったっていうか。 |
長谷川 | あはは、学ぶことは色々ありますよね。人間としても育ててもらった気がしますし、ボランティアについても、かなり学ぶことはありました。で、そこで興味を持ってドイツの平和村にも行きました。JHPとは全く関係なく個人的に。 たまたま自分がドイツに語学留学しようかって思ったときに、テレビのウルルン滞在記で昔、東ちづるさんの国際平和村での活動を聞いて、そこに行って活動したりとか。 |
倶楽部 | 活動したのは、JHPとは関係ない…? |
長谷川 | 全く関係ないです。でもそこに興味を持ったスタートはここJHPですよね。 |
倶楽部 | じゃあ学生時代のボランティア活動で一番の思い出っていうのは? |
長谷川 | やっぱいいメンバーには恵まれていましたね。今でも人間としても尊敬する友だちも沢山いますし。それと普段見られないものを見られたっていうことですね。ユーゴスラビアやカンボジアに行って見て、会った人たちは普通の生活していたら出会えないでしょうし、そこで聞けた言葉は普通ならまず聞けない言葉です。見たり聞いたりしたのが一番の思い出ですかね。 |
倶楽部 | そういうのに興味がなくて、行くなら途上国じゃなくて、欧米とか快適な国の方がいいとか。困っている人たちや被害を受けている国があるってことに対して無関心な若い人も結構いるじゃない?ケンジさんが国際協力に対して興味を持っているのは、19才でカンボジアに行って興味を持つようになったから?それとも小さいときにマレーシアで物乞いの人たちを見て関心を持ち続けていたから?どっちだと思う? |
長谷川 | 19才で行ったからじゃないですか。 JHPに来てから何度か中学校で話しさせてもらったんですけど、基本的にみんな興味はないじゃないですか。海外の話を聞いたって、別に俺今行けないしってなるし。その時に考えたのは、どれだけ身近に感じるか。海外、海外って言われてもすごい遠いし。 以前、別のNGOのリーダーの人がテレビで言っててすごく共感したのは、そのNGOの人たちは、遠い国の人たちを助けているっていうより近所の子供が困っているから、自分ができることをやろうって考えてるんですよ。だからわたしが中学で話したのは、カンボジアを知らなくても、ここで知ったことで少し身近に、隣町にそういうところがあるんだって感じてほしい。全く知らないのと、身近に感じるのは違うと思うんですよ。 かわいそうって思うんじゃなくて、まずは知ろうという気持ちが起きるどうかで全く違うと思うんですよね。友達が困ってたら少しは助けるように、気持ちの持ち方が変わっていくんじゃないかなって。 |
中込 | 中学生の時にケンジの話を聞いた子が、2009年3月隊で行くんですよ。 |
長谷川 | 2001年ですよ。7年前ですよね。2001年の飯能第一中です。 マレーシアに住んでいたときの先生がその中学にいて、一度話しに行ったことがあったんですよ。結構好評で、その後に「卒業生に送る授業」としてまた時間をくれたんです。そのとき聞いていた子が今大学4年生になり、3月隊で行くらしいんですよね。 |
中込 | 2008年8月隊に応募して残念ながら落ちたんですよ。でもどうしても行きたいって。ケンジの話が原点で、大学生時代に経験したいから、最後の最後に行かせて下さいって言って…。本当は4年生の3月っていうのは、あんまりないんですよ。でも代表の「社会人になってもあなたやってくれる?」って質問に「できる限りやります」って答えて通ったんですよ。 |
倶楽部 | いい話です。その人女子、男子? |
長谷川 | 女子ですね。やっぱ興味持つのは女子が多いですよね。そういう優しさを持っている方々は。 いや、ありがたい限りですよね。まさか中学生の時に話した子が。 |
会社の埋もれた制度を探し出す | |
倶楽部 | そういう経験を経て、今の社会人になって、ボランティア活動とか今のJHPでの活動はどういうことをしています? |
長谷川 | JHPでの活動はマンスリー出ているくらいで、何にもしていないですね。 |
中込 | 今写真撮ったけど。IBMのPCを彼が支援してくれたんですよ。 |
長谷川 | 会社の社会貢献の制度で、特定の団体で活動実績があれば1年に1回物を提供できるるんです。それでPCを2年位前と今年と、2台提供させてもらいました。 |
中込 | このPCでJHPのホームページのリニューアル作業したんだから。 あとは小山内代表の誕生パーティの影の立役者として、まとめてもらっているのは大きい。 |
長谷川 | 今できることがあんまないんで、できる限りのことをしようと。人をつなげることだったらできますし。 代表の誕生日だと今まで来られないって言ってる社会人も結構来てくれるんですよ。来れば、今いる学生ともつながるわけで、代表の誕生祝いを毎年欠かさずやりたいっていうのも一つですよね。 |
倶楽部 | こういう寄付っていうのは、社員だったら誰でも提案できるわけ? |
長谷川 | 団体での活動実績は必要ですけど、知っている人はあんまりいないですよね。同じようにボランティアやっている同期も知らないぐらいで。結構会社には埋もれているんです、そんな制度は。どの会社でも探せば色々とできるんじゃないかなと思いますね。 |
倶楽部 | なんで最初にあるって分かったの? |
長谷川 | それは調べたからです。一生懸命調べたんです。 |
倶楽部 | それはJHPに恩返しじゃないけど、自分なりの社会人としてのボランティア活動っていうのをやろうっていう意識があって? |
長谷川 | そうですね。できることから。会社から何か持って行けるんだったら持って行こうと。 活動隊3回とユーゴに行かせてもらって、少しでもお返ししておかないと。 |
時間と場所を外して何かできないか |
|
倶楽部 | 金七倶楽部について提案があったらお願いします。 |
長谷川 | 社会人でも入りやすいというコンセプトは私も思っていて。カンボジアに行っていたメンツも話しをすれば「最近どうなのJHPは」ってみんな興味はあるわけですよ。 ちょうど自分のように働いて5、6年目とかなってくると、仕事も忙しいし、家庭のある人もいる。だから特定の場所に集まらなくてもできるような形で何か生み出せれば、一番いいと思いますけど。 継続的に細々と何かやっていこうと思います。みんなそれぞれ時期があるでしょう。今は仕事を頑張んなくちゃいけない時期とか、今は他の人にかまってられない時期とか。今は自分もそういう時期かと思うので、そんなにはできないと思います。 でもやりたい気持ちは変わんないので、そこで何ができるのかっていうのは常に課題ですよね。毎年それが課題で、なかなか答えが出てきませんが。 |
倶楽部 | 今言った会社の制度を利用するっていうのも一つですね。 |
長谷川 | そうですし、また他にも何かできたらやりたいなと思いますけど。模索中です。 |
中込 | 今話を聞きながら、僕はJHPの活動隊のモニタリングだなって思ったんですよ。活動隊って、学生で行った後社会人になって、その人がどうなっていくかっていうのは追求しないところがあって。だけどケンジの話を聞いていて、年間10人でもモニターをしていると思ったら、JHPとして非常に意味がありますね。 |
長谷川 | 離れていったメンバーは沢山いて、そこをまた戻すっていうのも十分意味があると思うんで。純粋に会費だけでいっても年間10人ずつ増えていって5年でもやれば結構な会費が増えるし、そこから何かが生まれる可能性も増えるじゃないですか。 |
中込 | 大体1000人くらいカンボジアへ行ってるんですよ。ダブって行っている人もいるから、実数で700人くらい行ってるんですよね。その人たちのその後の歩みみたいなものを会がフォローするっていう意味でもこのインタビューはいいなって。 |
長谷川 | 誰か知っている名前があれば、それはそれで「あっ」って思いますからね。 |
中込 | できることなら人集めとかそういう意味で協力してもらえると。 |
長谷川 | もちろんこれからもみんなに声をかけていきます。声をかけた時に、こんな理由で行きずらいっていうのは、できるだけフィードバックしたいと思います。ちょっとずつ変えられればって。 |
中込 | JHPとの距離っていうのかな、それをどう縮めてもらえるかっていうことだと思うんだよ。それがやっぱりテーマ、永遠の課題、じゃないですけど。 |
長谷川 | 社会人だけの話じゃなくてJHPとして人を集める上での共通課題ってあると思うですよ。そういうのを拾い出せるだけでも意味はあると思います。 |
倶楽部 | 今の自分の状況と活動内容のコンセプトが合えばこれまで以上に頻繁にJHPに来る機会は増えると思う? |
長谷川 | そこですよね。基本的にボランティアって場所と時間に依存するじゃないですか。 内職的なのがあればもっと楽だと思うんですよ。空いている時間を使えるんであればいろいろとできるんじゃないのかな。場所と時間を束縛して何もできないよりは時間と場所を外して何かできないか考えたほうがいいかな。 ホームページとか手伝おうと思っているのも、パソコンさえあれば仕事の合間であっても家でもできるわけですよ。ここに来なくちゃいけないとなると、それまでに仕事が終わるかわからない。時間と場所にとらわれないような関わり方があれば、やりたいと思いますよ。 |
中込 | 考えましょう、内職。地味だけどね。 |
長谷川 | 地味なところからですよ。何で内職できるか分からないですけど。 |
倶楽部 | じゃあそろそろ。 |
中込 | ありがとうございます。じゃあここで…。 |