5期カレッジ隊活動レポート
2011年3月12日(土)
スケジュール8:40 ホテル出発 【写真】 |
各車両より
1号車:私たちはこの3週間で、プノンペン、ポーサット、シェムリアップの3都市を巡って来ました。それぞれ表情が異なり、またそれぞれ魅力がありました。これらを通して私が感じた「自然と人間」について述べたいと思います。
シェムリアップで3日間を過ごして思ったことは、プノンペンよりも、私たち外国人に対する人々の笑顔が少ないということでした。日本語や英語、韓国語の看板も目立つこの地は観光地として栄えているので、外国人に慣れているからなのかもしれません。決してシェムリアップを否定しているのではないですが、プノンペンの方が外国人に対しても屈託のない笑顔を見せてくれるように感じられました。
なぜなのでしょうか。疑問を感じつつ、シェムリアップ近郊にあるバンティアエ・スレイ、オー村の2つを訪れました。すると、また人々があの素敵な笑顔を向けてくれたのです。プノンペンや今日の訪問地にあって、シェムリアップの中心地にないもの。それは自然でした。純粋な笑顔を見せてくれる彼らの周りには必ず自然がありました。木々や花、動物が共に生きていました。
今、日本では地震で多くの被害が出ています。改めて、人間は自然に勝てないということを実感します。
地球に住まわせていただいている人間は弱いです。しかし、自然と共に生きることで自らの弱さを知る人間はもしかしたら強くなれるのかもしれません。この3週間、カンボジアでたくさんの笑顔を見てきた私はそのように感じました。(井上 優未)
レポート係より
この3週間、カンボジアで精力的に活動をする多くの日本人の方々と出会いました。今日お話を伺ったアンコール小児病院の赤尾さんと、小さな奨学金制度で子ども達の教育支援を行っている漆原さんもこれまで出会った方と同じく、キラキラ輝いて見えました。カンボジアで活動している方々は、それぞれ活躍の分野は違えども、カンボジアのために尽くし、揺るぎない信念を持って活動しているように感じます。そんな方々が共通しておっしゃっていたのが、失敗を繰り返しながらも少しずつ自分のできるところから積み重ねた結果が現在につながっているということでした。
今日、ホテルのボーイさんと話した時、彼はアンコール小児病院のこと、昨日訪問したスナーダイクマエのことを知っており、そして、日本のことが好きであると話してくれました。
今の日本とカンボジアの友好関係があるのは、外国であるカンボジアで頑張り続けた日本人が作り上げた賜であると感じました。政治の分野でも、医療の分野でも、教育の分野でも色んな方々の少しずつの積み重ねが大きなものとして、今、カンボジアに根付き、形になり始めているのかなと現場を見て感じています。今、自分には何も専門的な武器がなく、カンボジアにとって、無力すぎる存在であることをこの研修において実感しました。しかし、微力でも、カンボジアで出会った子供達の輝く笑顔を守るために、少しの行動でもできることを見つけて実行に移していきたいと思いました。(栗山 幸)
副隊長より
昨日、今日と続けて日本人の方々が活躍しておられる活動現場を見学しました。そこで同じセリフを聞きました。それは「カンボジア人自らの手で」ということです。活動開始時は外国人の力が半分以上だったが年々カンボジア人スタッフが増え、今ではほぼカンボジア人自らの力で動いていると仰っていました。やはり、自分たちの問題を自分たちの力で解決していこうとする、これが発展の第一歩だと思います。
そして今日の午後、漆原先生の活動場所であるオー村で出会った子どもたちも、カンボジアの明るい兆しを見せてくれました。学校に通っている子も通っていない子も笑顔で嬉しそうに青空の下、日本語教室で様々な年齢の子どもたちが漢字ゲームをし、歌を歌っている姿をみました。教育環境が十分とはいえないのに、楽しそうに学んでいる子どもたちを見てこの先のカンボジアには希望があると感じました。
この3週間、3都市をまわりカンボジアにおける大きなギャップを体感しました。自然と共存している田畑や赤土が広がる土地、観光地として栄える場所、どちらがこの国にあっているのか、それは先進国ではなくカンボジア人自らで決めていくことです。発展しつつあるとはいえ、貧困や医療、教育などまだまだ問題は残るカンボジア。カンボジア人だけでは困難な開発も、日本や他の国々の人が手を差し伸べて1日でもはやくカンボジア人の手によって、子どもからお年寄りまで全ての人が健康で幸せな生活ができる日がくることを願うと同時に、自分も何かその一部に携われたらと思いました。(平野 歩)