2011年3月隊活動レポート
2011年3月18日(金)
スケジュール5:30 ホテル出発 【写真】 |
車両報告
1号車:先日までいたプレアシアヌークには水田が広がっていましたが、6号線沿いにはカンボジアには珍しく野菜畑を見ることが出来ました。これはメコン川が6号線の近くにあり水が豊富に存在すると共に田んぼより畑が多いからだと佐伯理事に伺いました。(國分)
2号車:今日は朝5時30分にホテルを出発したにも関わらず、プノンペン市内でジャージを着て運動している人や散歩している人の姿を目にしました。これはおそらくカンボジアは日中気温がかなり上がり活動できないため、朝早くから行動を開始しその代りにお昼休みが長いためだと思います。(山内)
3号車:帰りは1号線を通りフェリーに乗ってメコン川を渡りましたが、日本のODAによる橋の建設がこのまま進めば、フェリーの運航はなくなるかもしれないことを清国さんから伺いました。しかし、フェリー乗り場の近くに住む人々はフェリーの乗客にものを売ることで生計を成り立たせているため、フェリーがなくなると彼らが暮らせていけなくなる恐れがあります。全体の利便性を高めることは必要ですが、それによって地域経済が破綻することもあるため、バランスをとることが重要であると思いました。(五十嵐)
感想
レポート係の國分です。今日は第7回JHP音楽コンテスト、プレイベン県予選を見学してきました。私は音楽コンテストというと、音楽ホールで行われる静かなものであるというイメージがありました。しかし、今日のコンテストは窓の開いた講堂で行われ、1曲ごとに司会の解説が入る賑やかなものでした。初めはイメージとのギャップに驚きましたが、思い返せば日本の音楽コンテストでは良くも悪くも拍手しか送られません。それに対し、拍手だけでなく歓声も送ってくれるカンボジアの音楽コンテストでは人の温かみを感じることが出来、素晴らしいと思いました。
私たちも3月隊の発表の時間をいただき、カンボジアの民謡である「アラッピヤ」、日本でも有名なアメリカの童謡「森のくまさん」、そして先の贈呈式でも踊った「ソーラン節」を披露しました。本番は緊張してしまって少し声が小さくなってしまいましたが、子ども達が手拍子で合わせてくれて、私たちも楽しむことが出来ました。
また、カンボジア教育省の計らいで、11日に起こった東北関東大震災の犠牲者に対して哀悼の意を表し、20秒間の黙祷がコンテストの初めに行われ、プノンペン王立芸術大学のワエンハダン先生による作詞作曲の「津波」という曲が独唱されました。こちらでも日本の地震のニュースは大きく取り上げられており、私たち3月隊は実際に日本にいない分、余計に不安感にかられてしまっています。そんな中、カンボジアの人々が日本のことを心配してくれて私は感動しました。普段は経済的に豊かな日本がカンボジアのことを支援していますが、今回のような危機的状況では逆にカンボジアの人々が日本のことを思ってくれています。助け合いの関係を築いていくことがあるべき支援の形だと思いました。
(文責:國分)