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東日本大震災支援活動

東日本大震災支援・災害救済募金にたくさんのご支援をありがとうございます。当会は国税庁より認定NPO法人の資格を取得しました。皆様からのご寄付は、税制上寄付金控除の対象になります。
宮城県本吉郡南三陸町からの災害救援活動レポートをこちらでご覧いただけます。

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第36号(2013年5月23日発行)

「復興祈念桜植樹〜お手入れ編〜

 

JHP・学校をつくる会「桜プロジェクト」は、桜の苗木を被災地に贈り、桜の成長と共に復興がすすむことを祈念した事業です。2012年11月に第一弾として4か所に計135本、2013年3月に希望された個人宅含め170本を、JHP三島桜プロジェクトチーム、静岡絆の会、遺伝学研究所、それから大自然塾の方や南三陸町町民のみなさんと共に、造園業者加々美園さんに多大なるご協力をいただいて植樹いたしました。その時の様子は11月24日活動レポート3月30日活動レポートでご紹介させていただきましたので合わせてご覧いただければ幸いです。

 さて、まだまだ小さな桜ですから、成長は見守るだけでなく、手をかけなければなりません。そこでこの5月3日〜5日、静岡絆の会、三島ライオンズのみなさんと共に、追肥や下草刈りに向かいました。
南三陸町に到着すると、植えてくださった皆様が待っていて下さり、支柱が補強されていたりして、本当に桜を大事にしていてくれることが伝わりました。その後、植樹されたお宅全員に肥料を配り、「震災の翌々日(3月13日)に生まれた曾孫の為に植え、成長がとても楽しみです」といったお話も聞くことができました。あいにく、染井吉野30本が野兎に幹を食べられてしまって葉が出なかったのですが、それは次の機会にまた植えればいい!と再植樹を約束。その他の桜は、例年にないほど寒い冬と強風にも耐え、よく育ってくれました。

 行く先々で植えたい人が増え、輪が広がっています。植樹には時期がありますので、次回は2013年11月を予定しています!近い将来、桜でいっぱいの南三陸町に皆さまも是非来てくださいね。
(レポート:山岡修一、鳥居由美子)

写真@ 河津桜(2月静岡で撮影)
写真A 追肥
写真B 野兎・・・?
写真C 草刈り
写真D 刈り取った草
写真E 集合写真
写真F 神割崎キャンプ場の河津桜(5/4撮影)



























































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第35号(2013年1月31日発行)

「ふくろう福呼ぶつるし雛講習会!

 

JHP学校をつくる会は、宮城県南三陸町で2011年3月の震災直後から、ボランティアセンターの立ち上げに始まり、ボランティア派遣や桜植樹プロジェクト、ユニットハウスでの漁師さん支援など、物心両面の支援活動をして参りました。この度は、仮設住宅に暮らすお年寄りを励ます思いを込めて、昨年3月・8月に大好評だった「つるし雛講習会」を、1月22日から24日の3日間にわたって、南三陸町老人福祉センターの一室をお借りして開催いたしました。JHP三島チームは、三島地域のたくさんの方のサポートで数か月前から材料の準備を行い、1月21日、今回現地参加の5名はその全ての材料を積みこんだ車で、静岡から丸一日かけ雪の東北道を北上!福島・仙台は真っ白な雪景色でした。

 翌日22日の講習会初日は、あいにくの雨にも関わらず20名以上の方が参加。第3回とあって、すっかり常連になった方もおられ、静岡から差し入れられた本物のみかんでビタミンを補給しながら、楽しく「つるし雛のみかん」を作成いたしました。皆さんの願いが届いたのか2日目はすっかり晴れ、幸せをたくさん包む「巾着袋」、3日目には福朗・不苦労を願う「ふくろう」を作成。早い人は毎回2〜3個作り、家に帰ってまたつくりたいと材料を持って帰る方も。3日連続の開催のため、翌日嬉しそうに昨日の「宿題」の成果を見せてくださり、講師(JHP三島)を驚かせ喜ばせていました。
 お昼ごはんは老人福祉センターの前にある、JHPではおなじみのカフェ「あづまーれ」でおにぎり等を食べていたのですが、参加者の皆さんがお赤飯やワカメ料理、お漬け物などをたくさん差し入れてくださいました。温かいお心遣いに歓迎してくださっていることが伝わり、お腹も心もとても暖かくなりました。

 講習会の合間を縫って、11月に植えた桜も見に行ったところ、住民の方によって添え木が増強されており、風雪に耐えながら、楽しみに待っていてくれている心に応えるようにまだ細いその枝に小さな蕾をしっかりとつけていました。つるし雛講習会の笑い声がこの蕾のように感じられ、春に向かってたくさんの花が咲くことを願いながら、3日間の開催を終えました。
 
 布の準備、型紙作り、裁断と2〜3か月以上かかる準備を「おばあちゃんの笑顔を思い浮かべながら毎日準備していました」と笑顔で言ってくださったJHP三島チームのみなさん、本当にありがとうございます!
(レポート:鳥居由美子)

写真@ つるし雛みかん
写真A 巾着
写真B ふくろう
写真C 講習会のようす
写真D 集合写真
写真E 蕾







































































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第34号(2013年1月16日発行)

「大自然塾のホットステーション!

 南三陸町戸倉地区の国道398号沿いに「大自然塾」はあります。地元の方々やボランティアさんの胃と心を温める食事処であると同時に、震災後からボランティアを受け入れ、今では全国各地からボランティアが訪れ賑わっています。漁師さんへのユニットハウス支援や、桜植樹、つるし雛と何度も南三陸町を訪れる中で、私達も幾たびか澤田塾長のお人柄とフカヒレラーメンに温めていただきました。

2012年11月末、桜植樹プロジェクトで立ち寄った際「実はボランティアさんが使うスコップなどをおく所がなく、野ざらしになっている」というお話しを聞きました。そうと聞いて黙っていられるはずがありません。これまで漁師さんへ9棟ユニットハウス支援をした経緯をお話しし、どうにかしよう!と動き始めました。雪が本格的に降る前に!年内に!とあれよあれよとお坊さんと共に走り(師走)、なんとか手配をしたのが12月27日の年の暮れ、東京事務所では大掃除をしている日でした。

新年に澤田塾長から御礼状を頂戴したのでご紹介します!

「お元気でしょうか。私たちも震災から早いもので二度目のお正月を迎え、今年も厳しい新年の幕開けとなりました。南三陸町にも冬将軍が立ち止まったままです。東京や静岡の方もやっぱり寒いでしょうか。皆様からご支援いただいたプレハブが大活躍しています。クリスマスプレゼントかお年玉をいただいたような気持ちです。本当にありがとうございます。ボランティアさんたちも大喜びしています。ホットステーションになっています。まだまだ寒い日が続きますのでお体を大切に。また会える日を楽しみにしています。 大自然塾 塾長 澤田力」

写真(大自然塾にて。ユニットハウス設置完了)



































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第33号(2012年6月28日発行)

「空白と空腹の先にあるものは?」

 6月16、17日の2日間、1年2ヶ月振りに南三陸町を訪問しました。JHP職員として東日本大震災のプロジェクトにも携わっていながら、あまりにも長い空白の時間を経ての再訪となりました。

仮設の商店街(写真1)ができはじめ、国道沿いにはコンビニが増え、道路の整備も進み仮設の橋も多くなりました。点々としていた瓦礫は、いくつかの集積場に徐々に運ばれつつありますが、未だに手が付けられていない場所も数多く残されていました。(写真2)人数が減ってきているとは言え、土日は団体のボランティアバスが入り、熱意に満ちた老若男女が、ボラセン周辺に集まっていました。

 6月16日、漁村支援の9棟目となるユニットハウス設置に立ち会いました。場所は戸倉地区の在郷という漁村。付近一帯は瓦礫の集積場(写真3)になっており、将来的には処理施設が建設されることになるとのこと。漁業施設も復旧作業中であり、今後1mのかさ上げ作業が行われるため、ユニットハウスは一時仮置きとなり、正式な場所に設置された際には利用状況も含めて再度確認することになりました。(写真4)

6月17日は、私もボランティアとして津波に流された個人の住居跡で清掃作業に加わりました。現場リーダーは、偶然にもJHPのカンボジア隊や震災活動にも参加した大学生のK君でした。現在は長期ボランティアとしてボラセンのスタッフ側で活躍しています。カンボジア滞在時に震災が起こり、帰国してから1年ちょっと。作業説明を聞きながら、彼の成長とカンボジア隊が果たしている人材育成の成果を垣間見ることができました。
この日は、前日の雨にうって変わって夏模様の日差しの中、100人を超えるボランティアが作業を行いました。手に持っているのは、ちょうど1年2ヶ月前にJHPが支援したシャベル、バケツ、一輪車など。(写真5)もう5年以上も使われたのではないか?と思われるほどの状態ながら、修理を繰り返し大切に使われていました。JHPに寄せられた支援が役立っていることを伝えなければ…、という思いで東京に戻ってきました。

今回の訪問で、私の空白の時間はほんの少しリセットされましたが、果たして次の訪問はいつになるやら・・・。恐らく、誰もが現地で活動したいと思いながら、距離、時間、その他様々な事情で、現場とは接点を持てない人が多いのだろうと思います。だからだめという訳でなく、間接的にでも長く関われる方法をもっと増やしていくことの方が大切なのかもしれません。これは、カンボジアなど海外支援を呼びかける時に、いかに日常生活に近づけてもらえるかを考えることと似ているような気がします。

「風評被害ばかりは、努力してもどうにもならない…」
「魚介類がまったく売れない・・・」

今回の訪問で、自らも自宅を流された漁協関係者の切実な思いに触れて、私たち一人ひとりが、東日本大震災が招いた様々な被害に対して、直接、間接に関わらず、何を、いつまで、どこまで向き合うべきかという課題を与えられているのだと改めて考えさせられました。

 さて、難しい課題は少しだけ後回しにするとして、商店街(南三陸さんさん商店街)での買い物についても報告したいと思います。(写真6、7)
初日はここで夕食を食べ、夜食用にタコのから揚げ、蒲鉾コロッケ、ノンアルコールビールを1本だけ購入。2日目は、ワカメやホタテ、タコなどを購入し、実家の両親や家族のお土産にしました。手作りの支援グッズを扱う店では、大漁旗を使ったキーホルダー(写真8)を買いました。流失した船とご家族を思うと居たたまれない気持ちですが、これを使うことで震災問題と自分が繋がって離れないでいられるかも?と思いました。
ボランティア活動中に知り合った社会人を作業後に案内したら、その後のメールで彼もお土産を大量に買ったらしい。ちなみに、タコやかまぼこコロッケは4歳と2歳の我が子にも大人気でした。ネットショッピングができる店もあるので、Webで検索してみてください。

 食べ物のことを書いていたら小腹が減ってきたので、ボラセンの受付で売っていたチョコボ(ちょこっとボランティアチョコレート:写真9)を食べながら、先ほどの難しい課題について考えてみることにします。
 締め切りはありません。皆さんも考えてみませんか?
(レポート:中込祥高)

写真@伊里前商店街
写真A流出した陸前戸倉駅付近
写真B輸送中のユニットハウスと在郷地区の瓦礫集積場
写真Cユニットハウス仮設置完了
写真D日々使われている清掃用具
写真E商店街のゲート
写真F商店街の案内板
写真Gチョコボ(大粒18個入り1000円です)
写真H大漁旗キーホルダー































































































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第32号(2012年5月25日発行)

「漁師さんの笑顔が集まるユニットハウスを!A」

 ヒューマンパワー便り第30号でお伝えしましたが、JHPではその浜で漁業と生活の復興に立ち向かっている人々への支援として「漁師さんへユニットハウス提供ご支援を!!」プロジェクトを実施しています。
少なくとも9か所に必要との要請を受け、これまで2か所に支援しましたが、わかめ・めかぶの収穫、ほたて種付けなど、浜はどんどんと明日へ向かい待ってはいられません。夏が来る前にどうにかしようと、皆様からJHPにお寄せいただいた寄付にて、この度一気に6か所に支援を決定しました。
5月18日に3棟、19日に3棟。すべて戸倉地区です。両日ともに朝9時に45号線から戸倉地区への入口にあるコンビニエンスストアで待ち合わせ。小さめの2棟を積んだ10トン車と、大きい1棟を積んだ4トン車、各浜へ道案内の漁師さん3組、それから立会JHP車。朝のコンビニは大賑わい・・・。の、はずでした。ところが「さあおらほのところへどうぞどうぞ」と、早朝から待ち構えていた漁師さんに連れられて、ユニットハウス積載車は、コンビニに着くやいなや各浜に導かれたのでした。朝、8時半には各浜で作業が始まり、戸倉地区を右往左往しながら「待っていてくれたんだな」と嬉しくも苦笑しました。
 予定地はどこもきれいに整地されており、運搬の方もさすがプロ!といった感じで、JHPのブランコ製作でもおなじみの水平器やユニック車のリモコンを自在に操り、1時間もたたないうちに3棟があっという間に設置されました。両日とも、1か所はどうしても大型車が入れないところだったため、近くの平らな場所に仮に置きましたが、私たちの帰った翌日20日、漁師さんたち自身で手配されたユニック車で無事設置できたと報告がありました。どこもユニットハウスの隣のテントでわかめとめかぶの収穫をしておられ、設置されたばかりのユニットハウスをのぞいて喜んで下さり、今採れたばかりのわかめやめかぶをその場でさっとお湯を通してごちそうしてくださいました。茶色から鮮やかな緑に変わる様子と、採れたてのおいしさに感動し、微力ながらこのおいしさを全国のみなさんにお届けできるかと思うと幸せに思いました。それから、「お土産にめかぶ持って行って。今、とってくるから」と言われ、倉庫に取りに行かれるのかな〜と思い、恐縮しながらしばらく待っていたら、「あそこにいるからすぐだ〜」と、海の向こうの白い船を指さされた時は、驚き!船を待つ間、ゆっくりと海を眺め、そして本当の本当に採れたてのめかぶを頂戴してしまいました!浜の皆様、おいしかったです!(レポート:鳥居由美子)

 引き続きJHPでは漁業の町で生きる人々を支え、浜に笑顔があふれるようにと活動を続けてまいります。そこで、ご賛同くださる企業・個人を探しています。

「漁師さんへユニットハウス提供ご支援を!!」
ユニットハウスは新品でなくてもご使用済みの中古品でも結構です
出来れば現地までの運搬までご支援頂ければ大変助かります。
ご提供情報のご連絡は下記までお願いします。
認定NPO法人 JHP・学校をつくる会 担当:中込、鳥居
電話:03-6435-0812/FAX:03-6435-0813
Eメール:tokyo-office※jhp.or.jp(※を@に変えてお送りください)

















































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第31号(2012年3月23日発行)

「仮設住宅で暮らす人たちへ つるし雛講習会!」

1月末日、山岡理事と佐谷理事が以前からJHPで支援を続けている平成の森仮設住宅近くの憩いカフェあづまーれを訪問した際、静岡県で預かった伊豆に伝わる「つるし雛」をお届けしました。お茶を飲んでいたおばあちゃんたちは「初めてみた、きれい」「わたしたちもつくりたい」と手にとってとても喜んでくれました。
2月中旬、ユニットハウスを漁師さんたちに届けた時にもあづまーれに立ち寄り、すでにすっかり顔見知りになっていたおばあちゃんから「つるし雛をつくりたい」「何かしていないと気持ちが暗くなる」「仮設住宅に閉じこもりがちな人にも呼びかけたい」という声があがりました。
この話をお雛様をつくってくださった新村さん(静岡県)にお話すると「(お弟子さんたちと)講習会を開きに南三陸町に行かせてください!」と言って下さいました。
さて、そうと決まれば善は急げ!JHP三島チームと小山内代表より命名された7名は、準備を整え3月11日静岡県三島市を早朝出発。お昼過ぎには仙台に到着し震災から1年の慰霊行事に参列しました。被害にあわれた方々のご冥福と、この一年に出会った人々との絆を心に抱き気持ちを引き締めました。
翌日、おばあちゃんたちの生き生きとした笑顔を思い浮かべ、一路南三陸町に向かいました。12日は26名、13日は30名と会場に入るのがやっとの盛況ぶりでした。女性の年齢を公開して申し訳ありませんが91歳のおばあちゃんは、明日(3月14日)が曾孫さんのお誕生日だとおっしゃり始終嬉しそうにうさぎ雛を作っておられました。つるし雛は、むかしむかし雛飾りを購入できるような裕福な家庭はまれで、愛する子供や孫の為に手作りの雛飾りで初節句を祝おうという、切なくも愛しい親心から生まれたのが発祥と伝えられています。南三陸町でも、JHP三島チームの指導を受けつつ、娘さんを想い、お孫さんを想い、曾孫さんを想い、みなさん一針一針丁寧に作っておられました。幸せを包む「巾着」、邪気をはらう「桃」、さらに上達が早い方は長寿の象徴「亀」。
教えたり、教えられたり和気あいあいと楽しい時が過ぎたころには、素敵なつるし雛が天井から幸せそうに舞いました。
JHPではユニットハウスやあづまーれの防寒ビニール支援、シルバーカーのような「物の支援」とともに、「心の支援」も大切にしたいと思います!

写真@仙台にて慰霊
写真A講習会のご案内(あづまーれ)
写真Bお孫さんと参加
写真C明日の曾孫ちゃんのお誕生日のために
写真D亀もできました
写真E完成!
(レポート:山岡修一、鳥居由美子)





























































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第30号(2012年3月13日発行)

「漁師さんの笑顔が集まるユニットハウスを!」

 JHPが震災当初より支援活動を続ける南三陸町は、宮城県の北東部、親潮と黒潮がぶつかり合う世界四大漁場の一つ<三陸漁場>を背景に古くから、カキ・ワカメ・ホヤ・ギンザケ・ホタテ・クロソイ等の養殖が盛んに行われていました。しかし壊滅的な津波被害を受け、番屋や作業場が流されてしまいました。漁や養殖も少しずつ再開され、これまでのボランティア活動の中で出会った漁師さんは「世界有数の漁獲高を誇るこの海は今も誇りだ」と言っておられました。この度、JHPではその浜で漁業と生活の復興に立ち向かっている人々への支援として「漁師さんへユニットハウス提供ご支援を!!」プロジェクトを立ち上げる事にしました。
はじまりは2012年1月、ユニットハウスをご寄贈くださるという企業のお申し出を受けて、現場確認を行ったところ、災害ボランティア・センターの運営サポートをしていたご縁で社会福祉協議会の紹介で、九地区の漁村の要請に漁協が間に入り、漁協からJHPに漁師共同小屋としてユニットハウスの提供を要望されました。主に集会・休憩用と遊具保管をする作業場はもともと浜にいくつもあり、そのすべてが流されてしまったとの事で、少なくとも9か所に必要であるという事でした。その時点で寄贈予定のユニットハウスはひとつ。種付けや漁は再開されているものの作業場がないばっかりに昼食も車の中で食べたりしているとのお話しに、氷点下になる日も多いこの季節の寒さを身に感じながら「これは大変だ!」と急ぎ呼びかけたところ、すぐさま呼びかけに応えて下さった方がおり、取り急ぎ2か所への支援が決まりました。
 2月18日朝、社協の南三陸町災害ボランティア・センターから12名のボランティアの皆さんが整地や基礎作りの作業のお手伝いを頂き、山岡理事立ち会いの下、搬入チームは水平出しの後クレーン車によりユニットハウスを設置、接合部の漏水防止コーキングを行いました。昼食もとらず作業をしていたところ、浜の方がカキ汁の差し入れをくださいました!その後、全員でカーペットの床貼り、備品の開梱、室内清掃を行いました。朝10時からはじめ、15時40分にようやく作業終了。しかし、これで風や雪にさらされることなく漁師のみなさんが集まれる場所ができたのかと思うと疲れも吹き飛んだようです。(レポート:鳥居由美子)
 引き続きJHPでは漁業の町で生きる人々を支え、浜に笑顔があふれるようにと活動を続けてまいります。そこで、ご賛同くださる企業・個人を探しています。

「漁師さんへユニットハウス提供ご支援を!!」
ユニットハウスは新品でなくてもご使用済みの中古品でも結構です
出来れば現地までの運搬までご支援頂ければ大変助かります。
ご提供情報のご連絡は下記までお願いします。
認定NPO法人 JHP・学校をつくる会 担当:中込、鳥居
電話:03-6435-0812/FAX:03-6435-0813
Eメール:tokyo-office※jhp.or.jp(※を@に変えてお送りください)




















































JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第29号(2011年7月13日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート

 南三陸町での復興支援ボランティアに参加させて頂き、また、ボランティア活動への手厚い支援をありがとうございました。
今回は4月に続いて2回目となりましたが、現地の変化にも驚きました。被災地そのものは、瓦礫が片付けられている場所も広がっていましたが、より錆びた様に見えました。その変化は2か月を経たからこそ感じるもので、もし初めて見たのであったならやはり瓦礫が散乱しているだけに見えたかもと思います。
 それと比べて、今町の中心となっている、災害ボランティアセンターもあるベイサイドアリーナ地区は4月の騒然とした様子からは大きく変わって落ち着いていました。6月26日にベイサイドアリーナ内で写真展を観ました。そこには今の町の様子だけではなく、震災前の街並みや中には震災前後を対比させている写真もありました。4月に来るまで、この町の名前を知らず、そして、被災地を見ても想像出来なかった町の様子〜港、商店街、家並み、民宿など〜特別な物はないけれど生活のある光景でした。
29日に『思い出探し隊』が探し出した写真の清掃作業を行いましたが、そこに写る様々な思い出と写真展の写真と重なりました。
 今回はマッチング担当の清国さんのご配慮で毎日違った作業となりました。25日は炊き出しのお手伝いで、弁当におかずを盛り付け。ホヤ養殖されていた男性とお話をしました。養殖施設は津波で破壊されていました。ホヤが好きなので興味深い話を聴けました。26日は福興市のお手伝いで、ごみ箱担当とゴミ拾い。南三陸出身で今は仙台に住む人と組みましたが、両親が避難所におられたそうです。南三陸町についてお聴きしました。27日は被災者の憩いの場であったカフェのテント移設。一緒に作業された人は仙台の自宅も津波の被害を受けたけれど、市職員なので自宅周辺のではなく南三陸町でボランティアをされているという話をされていました。28日は志津川高校避難所での物資運搬・整理。避難所は生活感があふれていました。やはり疲れているように見えました。ボランティアとは対照的でした。29日は『思い出探し隊』の写真清掃。スーパーボランティアに勇気をもらいました。毎日違う作業をする事で、被害とそれに対する復興活動の多様性を知る事が出来ましたが、どれもがコツコツと地道な作業でした。その積み重ねが復興に繋がるのだと感じました。4月にはあまりの惨状に圧倒されて「生き残るため」という状況を受け止められませんでした。
 今回は「生活」するとは何かを知りましたが、それは日常生活の視野の中にありました。やはり圧倒されたままではありますが、今回はささやかながらもお手伝い出来たと思えました。

レポート:古木 健(震災ボランティア第5次隊、18次隊参加)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第28号(2011年7月12日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート

 3月11日私は中国の旅行中に震災のことを知りました。帰国後直ぐにでも現地に飛んで行きたいと思いながらも、極度に地震恐怖症の私は東京方面にすら出掛けられなくなっていました。せめても募金活動に立つこと位しか出来ませんでしたが、そんな中飼い犬が寝たきりになり介護生活が始まり、何も出来ないもどかしさだけが渦巻いていました。
 6月11日愛犬を見送り、涙も乾き切らないうち直ぐに此の度のボランティア活動にエントリーしました。実働4日半、炊き出し、避難所での物資仕分け、ケアカフェと毎日違う場所での仕事で避難者の方の生の声、現状を痛い程に感じてきました。少し離れた部落は家こそあれ、水は出ない、物資は来ない、高齢で買い物にも行かれない…と忘れ去られたような地域もあり、お弁当が少し余ったので炊き出しをしていた地区の方が心配して持って行って下さったら「こんな美味しくて温かいものを食べたのは震災後初めて!」と涙を流し感謝されていたと聞きました。
 避難所での仕分けでは善意で送ってくれた筈の古着が結局はゴミとなっている現実に、仕分けをしていて憤りさえ覚えました。津波で何もかも失くされたとは言え、送る側はもっともっと心ある配慮をするべきです。暑くなった日の体育館での作業は、ボランティアの私達でさえ気分が悪くなりそうでした。100日余りも避難所にいらっしゃる方々はもういっぱいいっぱいで、我慢の限界ぎりぎりな中、一触即発な状態にいらっしゃることを肌で感じました。ケアカフェ(あづまーれ)では専門の心理療法士の方が被災者の方とお話しているのを遠くから聞くともなく聞いていましたが、私達素人ではとても対応出来ない傾聴をされ、やはりこの時期に至ってはましてこれから先はますますこうした専門の方が必要になってくると思いました。
 津波で泥を三度も飲み生き抜いたと言う女性は「死ぬも地獄、生きるも地獄。」とおっしゃり、来月には二度目の癌の手術もあるのだと話され、私は返す言葉もありませんでした。また三人目のお子さんを震災直後の3月16日に出産されたと言う若きお母さんは仮設住宅の中が夜も暑く、それでも収入がない今は電気代を節約するためにクーラーも付けず子供達が夜泣きして困ると悲痛な顔をして話して下さいました。
 こうした生のお声を聞く度に、改めて震災のもたらした膨大な問題を突き付けられる思いで胸が痛くなります。これからも長く長く掛かるであろう復興、未だ収束しない原発の問題、「絆」「共に在る」等の言葉だけでは到底支え切れない程被災者の方々の心は深い深い絶望と悲しみの底にあることを痛感してきました。自衛隊も撤退してしまった今後は、ハード面ソフト面共にますます息の長いボランティアの力が必要になってくることでしょう。
 第18次隊に参加させていただきましたことに、心から感謝しております。

レポート:曽田みふゆ(震災ボランティア第18次隊参加。2006年カンボジア8月隊参加)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第27号(2011年6月15日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート

 南三陸町に近づくにつれて屋根の瓦が剥がれ落ちている家や、瓦礫が流れこんだ畑が見えてきました。そして南三陸町に着いたとき目の前に広がる光景に唖然としてしまいました。海が見えないような海岸から離れた場所にまでも津波の被害が及んでいたのです。鉄骨がむき出しになった建物の上に車や船が打ち上げられ、線路もぐちゃぐちゃになっていて、以前どのような町であったのか想像することは困難でした。しかし少し高台にある建物はほとんど被害に遭っていませんでした。ちょっとした立地の違いで被害の大きさにこれほど違いがあることに非常に強い衝撃を受けました。
 私はボランティアセンターの受付業務を行いました。全国各地からボランティアに駆けつける方がいて東北の復興を多くの人が応援していることを実感することができました。また、「じっとしていると津波を思い出してしまう、何かできることはないか。」と被災者の皆さんもボランティアに参加していたのが印象的でした。
 これからは避難所に集団で生活していた方が仮設住宅などに移っていき、個々の生活が始まります。その際に発生する個別のニーズに対応していくためには今まで以上の支援が必要になってくると思います。また、普段遠方で生活している人が長期にわたって現地での活動を継続するのに限界があるのは仕方のないことです。そこで大切な力となるのは、地元の方自身の持つ力なのだと思います。実際に、ある避難所では物資を受け取りに行く作業などを分担して協力し合っていると聞きました。また被災者でありながらボランティアに参加する方も多いように感じました。このような自発的な働きを尊重しつつ、外部からの息の長い支援が必要だと考えます。
 私は南三陸町を離れる頃には津波の被害にあった景色に見慣れてしまったように感じました。しかし、本来の南三陸町は海にも山にも恵まれた自然が豊かな町です。このような素敵な土地で暮らしていた方々が少しでも早く落ち着いた生活に戻れることを願っています。

レポート:福田祐莉江(明治学院大学3年、2011年カンボジア3月隊、震災ボランティア第7次隊)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第26号(2011年6月13日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート

 初めて宮城県南三陸町へ現地入りしたのは、4月16日のことでした。
東北地方に向かう高速道路では、被災地に近づくにつれて自衛隊や緊急支援の車両が増え、車窓からも段々と瓦礫の姿が。しかし、南三陸町に着くとさらに信じられない光景が。どこまでも広がる瓦礫。大きな建物の上に乗り上げた車。そのあまりの被害の大きさと、目の前に広がる現実に思わず目を覆いたくなりました。どこまでも広がる瓦礫の世界。しかし、一見すると瓦礫と思われる中にもたくさんの人々の思い出の品などもありました。
 今回、私は南三陸町で人々の思いでの品を回収・洗浄をして持ち主に返却する「思い出探し隊」の活動に参加させていただきました。思い出の品は、写真だけではなくランドセルや名前の書いたサッカーボールなど多種にわたります。その品全てに持ち主の思い出があり、様々な思いが詰まっている。発見された品は膨大だけど、ひとつでも多くのモノを持ち主に返却したいと思いました。
 洗浄を進めていくと、その洗浄作業の難しさの壁にぶつかりました。津波の影響で、泥などが大量に付着しておりそれを除去しようとすると写真のインクまでとれてしまう。一筋縄ではいかない作業に悪戦苦闘しました。
 写真には、その持ち主の様々なストーリーが刻まれておりその様子は洗浄作業をしている際にも感じることが出来ました。それが、今回の大津波で一瞬に奪われてしまったと考えると何とも言えぬ感情が込み上げてきました。しかし、全てのものが流されてしまった被災者にとってこの思い出の品はとても貴重なものであるので、持ち主に帰ったときの事を想像したら、より洗浄作業にも力が入りました。
 全国から来られた沢山のボランティアさん達が日々、洗浄作業を進めてきた結果、初めての写真の公開日が5月28日に決まりました。公開の会場は、現在は使用されていない学校の校舎で、各教室や廊下にはたくさんの思い出の品が展示されていました。
 洗浄する前からは想像も出来なかったくらいきれいなモノがたくさんありました。
公開日には、様々な思いでこられた沢山の被災者の方が来場され、自分の思いでの品を一生懸命に探していました。自分の写真を発見された被災者の方は涙を流されたり、また見つけた瞬間にとても喜んでいる方など様々でした。
 まだまだ、洗浄すべき写真はたくさんあります。少しでも多くの品が持ち主に戻るようこれからも、全国から駆けつけるボランティアさんの手によって進められていくでしょう。
 たくさんの思い出の品が持ち主と「再会」できる事を願って止みません。

レポート:江口友介(獨協大学3年、2011年カンボジア3月隊、震災ボランティア第7、13次隊参加)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第25号(2011年6月9日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート

  「東京にいても自分にできることは何だろう」
東京に戻ってきてそんなことを考えながら過ごしています。考えてはみるものの実際に被災地の為にできる活動はなかなか無く、せめて南三陸町のニュースくらいは毎日確認しようと町やJHPのHPを見る毎日です。
 東京で聞く南三陸町のニュースは明るく希望の持てるものが多いです。コンビニの営業開始、学校の始業、仮設住宅への入居…復興が進み、もう大丈夫なのかな、と思ってしまいそうになります。しかし実際にはこれまで当たり前であった生活を取り戻すには至っていません。ある小中学校では授業が近隣の市にある小学校で実施されており、生徒は毎日スクールバスで往復2時間かけて通っています。朝は7時過ぎに家を出て、夕方5時には学校を出ます。中学生の部活にかけられる時間は1時間も無く、小学生も思い切り遊ぶことがなかなかできません。町に戻っても仮設への入居状況等により必ずしも友達が周囲にいるとは限りません。希望や変化を報道している為に復興している部分が強調されますが、まだまだ助けが必要な面も多くあるのです。そこまで調べてまた、はじめの問いに戻ってしまいます。自分にできることは何だろう。
 残念ながら今の私が直接南三陸町の為にできることはほとんど無いと思います。大学の勉強、教育実習、震災の為に延期されていた就職活動などしなくてはいけないことはありますし、まずは自分のすべきことをきちんとこなさなくてはいけないからです。しかし間接的ではありますが、JHPの活動を支えるお手伝いや経験を誰かに伝えていくことはできるのではないかとも思います。数時間でも小さな事柄であっても手伝えることはたくさんあるでしょうし、「いつも気にかけている」という想いくらいは伝わっていたら嬉しいです。現地に行く!アルバイト代を義援金として送る!等と言えたら良いのですが、残念ながらこれが今の私にできることです。
 みなさんの「今、できること」は何ですか?

レポート:井口歩
(東京学芸大学教育学部4年、2008年カンボジア8月隊参加、震災ボランティア第6、9次隊参加)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第24号(2011年5月23日発行)

思い出探し隊で活動
東日本大震災 JHP第11次隊 活動報告(5月15〜20日)

 小山内美江子JHP代表理事を責任者とする第11次隊(佐伯蘭子,佐谷隆一、松本伸夫各理事、立花義之、本田奈津美、中岡宣慶各会員)の7名は15日午前9時、東京・港区のJHP事務所を出発、交通渋滞の全くない東北自動車道を経由して予定通り午後3時過ぎには宮城県南三陸町に到着。活動拠点の一つとなっている災害ボランティア・センターで運営スタッフとして22日まで働くことになっている本田会員を降ろしてJHP現地拠点となっている石巻市桃生町の立花邸に宿泊した。
 翌朝は南三陸町社会福祉事務所課長の案内で、小山内代表ら6人が、巨大津波で孤立し、人的被害も大きかった町立志津川中学校長を約1時間表敬訪問。小山内代表の不幸や悲しみを癒す脚本家らしいやさしい言葉に校長が涙を流し、肉親を失った課長ももらい泣きするという一幕もあった。
 17日以降も現地に残ってボランティア活動をすることになった佐伯、松本、中岡の3名は、ボランティア・センターでは思い出探し隊ボランティアに参加することになった。
 今回の東日本大震災は史上4番目の大災害と言われ、死者1万5000人,行方不明者1万人の犠牲者が出ている。とくに死者の92.5%が水死によるもので、高さ10メートルを超えるような巨大な津波の犠牲になった人が多い。そのため住居もろとも家財が四散してしまったケースが目立つ。とくに町役場が津波で破壊された南三陸町では1万7000人の住民のうち7800人が避難民となり、いまだに600人が行方不明となっており、瓦礫の中から自衛隊員が持ち主不明の写真アルバム、位牌、免許証、銀行通帳など個人の思い出の品々を探して町役場に届けている。
 こうした膨大な写真アルバムなどをハケやキッチン・ペーパーなどを使ってぬるま湯で丁寧に洗浄、きれいな顔写真を1枚ずつはがして乾燥させるのがボランティアの第1の仕事。廃校になった古い木造中学校舎2階の教室に送ってアルバムごと位牌と一緒に干す作業もある。最後の仕事は写真1枚1枚教室の窓に張り出して、すぐはがせるように陳列すること。5月28日から6月5日まで旧入谷中学校で第1回思い出の写真・品展が開かれる。こうした展示会が新しい災害救援の文化として、家や家族を失った膨大な数の被災者たちの心の癒しになることを願ってやまない。

(レポート:JHP理事 松本伸夫)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第23号(2011年5月6日発行)

泥だし作業用具50セット提供!

 JHPの南三陸町での活動は1ヶ月半になろうとしています。今まで途切れることなく継続できているのは、現場で活動しているボランティアさんだけでなく、多くの会員や団体、企業の皆さんのご協力のお陰です。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
 さて、南三陸町では、今もなお町民6,000人以上が避難生活を余儀なくされ、600人以上が行方不明の状況が続いています。災害ボランティアセンターの運営に関わるJHPとしても、この町の復興のために組織をあげてヒューマンパワーを結集させたいと思っています。
 そんな中、今後必要とされる泥だし作業について、早急に用具を準備しなければならないという連絡が入りました。詳しく聞くと、津波の影響で災害用備蓄倉庫自体が流されてしまい、作業に必要な用具は残っていないとのことでした。
 要望があったのは以下の用具50セットです。

一輪車(三才深型)
角スコップ
アルミレーキ
ブリキバケツ
長靴
ゴム手袋
雨ガッパ

 この話を聞いた時に、ふっと思い出したのは、アメリカン・エキスプレスの担当者の言葉でした。
 「現場で要望があった時には相談してください!」
さっそく現状を伝えると、翌日にはカード会員がポイントで寄付をするプログラムに加えることの内諾をいただくことができました。
 並行して用具の調達方法について東京事務所で調べていたところ、関西の専門業者が見つかりました。しかし、ホワイトボードの時と同じく、宅配では南三陸町まで運べないとの回答でした。
 物はあるのに、流通システムが機能していない状況に愕然としながら諦めかけていた頃に電話が入りました。
 「急いでいると思いますので、埼玉の営業所から自社トラックで運搬します。」
 担当者も思いもよらぬお客さんに驚いたに違いありませんが、何とか50セットを集めてくれた上に、無料で運搬まで引き受けてくれるとの連絡に涙が出る思いでした。これで調達の見通しがついたと思いほっとしましたが、インターネットと業者さん、そして支援企業のアメリカン・エキスプレスとそのカード会員の皆さまのお陰と言うべきでしょう。本当にありがとうございました。
 さて、泥だし用具50セットは、既に災害ボランティアセンターの大きなテントの中に備蓄され、日々のボランティア活動に役立てられることになります。作業の様子は、ゴールデンウィーク中にボランティアに入ったJHPメンバーの報告をお待ちください。

(レポート:中込祥高)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第22号(2011年4月28日発行)

第8次隊活動報告(2011.4月23〜24)

 4月23日(土)、この日は早朝から雨が降る悪天候。通常よりも2時間早い朝6時に事務所に集合したのは、今川副代表、佐伯理事、鎌田さん(ボランティアカレッジ第3期生)、中込の4名でした。びしょ濡れになりながら軽自動車に荷物を積み込み、首都高を抜けて東北道蓮田SAに7時10分に到着。ここに待っていたのは、炊き出しサポートで南三陸町に向かうJHP社会人ボランティアの赤嶺さんでした。中込以外の3人は、ここで赤嶺さん運転のミニバンに乗り換え、南三陸町へ。第8次隊は往路からタスキリレーのスタートとなりました。
 さて、第7次隊に引き続き、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル,Inc.様より、JHPの救援活動に対して、人員や物資を輸送する2台目の車輌(4WDピックアップ車輌)をご支援いただきました。これは、アメリカン・エキスプレスのカード会員の方々がカード利用によって貯まったポイントを寄付して下さったことにより提供されたものです。この場を借りて、アメリカン・エキスプレスのカード会員の皆さまに心より感謝を申し上げます。
 蓮田SAで見送りを終えた中込は、正午にさいたま市内の自動車販売店で4WD車輌を受け取り、その車を運転して羽生市に向かい、友人のバイク店で車にステッカーを貼ってもらいました。更に、運転ボランティアをお願いしていた中込広治氏(事務局長中込の父親)を迎えに、隣町の行田市まで車を走らせ、午後2時過ぎにようやく出発となりました。
先に出発した第8次隊は、夕方4時から予定していた連携企業の甲信食糧鰍ノよる炊き出しに合流。避難所となっている「志津川自然の家」で雨の中炊き出しを行いました。
 「薪が濡れてしまい、釜の中は燻製状態。テントはすすだらけで、顔もマスクも真っ黒になるほどでした。」(今川副代表談)後発の中込は、夜7時30分頃に石巻市桃生町の立花さん宅に到着し、炊き出しや他のボランティア作業を終えたメンバーと合流しました。23日の宿泊者は17名で最多人数の一夜となりました。
 翌24日は、前日とうって変わって快晴でした。朝6時前には数名が起きはじめて、身支度や食事の準備など行動開始。甲信食糧鰍フ皆さんは、炊き出し用の水をドラム缶に補給。それぞれ準備が終わってから朝食を取り、午前8時15分頃、立花さん宅を出発しました。
 午前9時にベイサイドアリーナに到着した今川副代表、佐伯理事、中込の3名は、初めての南三陸町入りということで、お世話になっているボランティアセンターの方々にご挨拶。センター受付でテキパキと働くJHPメンバーの勇姿を確認すると、今川副代表、佐伯理事、鎌田さんの3名は、さっそく4WD車輌を活用して歌津中学校での物資仕分け作業に向かい、中込は志津川中学校の炊き出しに合流しました。
 志津川中学校は高台の上にあり、直接の被害はありませんでしたが、そこからの眺めは一変し、およそ人間が住んでいたとは思えない、瓦礫の町並みが広がっていました。モノクロの景色に所々見える桜が、春を告げようと懸命に咲いていましたが、今はまだ希望の象徴と呼ぶには早すぎるのか、むなしさばかりが募ってきました。
 甲信食糧潟<塔oーによる炊き出しには、JHP社会人ボランティア6名が手伝いに参加。全員が学生時代にカンボジア隊に参加していますが、卒業後、社会人としてよりたくましく成長しているように感じました。JHPのメンバーは、お互いに共通の経験を持っているので、会えばすぐに仲間意識を持って協力しあえるのだと思います。これは様々な活動において組織として動く上で大切な準備だと感じました。
 11時30分、予定通り大なべ2つで300食分のほうとうが完成しました。この中学校もゴールデンウィーク明けには学校が開始されるということで、避難所で生活する方々は徐々に減ってきているそうです。避難所の方々にホカホカのほうとうを提供した後に、地域の方もうわさを聞いて訪ねてきました。少し照れながら、「お鍋を持ってきて良いですか?」と話していたお母さんが印象に残りました。仮に家が残っていても、水道、ガスが無い生活は避難所と変わらないのです。
 その後、この中学校で野営しながら活動を行う自衛隊の皆さん、仮設住宅を建設している業者の皆さん、避難所の運営に関っている東京都庁の皆さん、そして視察や取材に来られた方々にもほうとうを提供し、最後に私達JHPボランティアもご馳走になりました。
 前回炊き出しに参加した元JHP理事の立石さんが、「今までで一番おいしいほうとうだった」と話していましたが、私自身もそう思いました。帰りにJHP会員の森田さんからお借りした車を東京に走らせながら、父親も「あのほうとうはうまかった」と再三話していました。父は山梨県甲府出身で、郷土料理のほうとうにはうるさいはずですが、納得の味だったようです。
第8次隊は、人と車が目まぐるしく動きながら、今川副代表、佐伯理事、鎌田さんの3名を残して、それぞれの家路へと向かいました。

●第8次隊参加者(4月23日〜)
〔4月24日まで〕
中込祥高(JHP事務局長)※運転担当
〔4月27日まで〕
今川純子(JHP副代表)
佐伯蘭子(JHP理事)
鎌田勝吉(会員ボランティア、カレッジ3期生)※運転担当

●第8次隊協力者(4月23〜24日)
赤嶺大輔(会員ボランティア、2005年カンボジア3月隊)※炊き出し・運転協力
中島雄介(会員ボランティア、2004年カンボジア8月隊)※炊き出し・運転協力
浜村ひとみ(会員ボランティア、2007年カンボジア8月隊)※炊き出し協力
宮崎真利子(会員ボランティア、2006年カンボジア3月隊)※炊き出し協力
江村真由子(会員ボランティア、元カンボジア駐在員)※炊き出し協力
高橋久(会員ボランティア、元JHP理事)※運転協力
中込広治(会員ボランティア)※運転協力
他匿名ボランティア1名

●連携企業
甲信食糧株式会社(山梨県中央市、中込武文社長)との連携により、「志津川自然の家」、「志津川中学校」の2カ所で炊き出し活動を実施することができました。

レポート:中込祥高

写真@4WD車輌
写真Aセンター運営業務
写真Bボランティアセンター前で打合わせ
写真C甲信食糧の皆さん
写真D炊き出し

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第21号(2011年4月20日発行)

JHP支援のホワイトボード10台到着!

 4月12日(火)、南三陸町災害ボランティアセンターに常駐している清国さんから電話が入りました。
 「センター運営にホワイトボードが欲しいという意見が出ているけど、検討してもらえる?」
 話を聞くと、今までは模造紙の上に透明なセロファンを貼って代用していたり、紙に書いた案内が強風で飛んでしまったり、何度も書き直して貼る時間がもったいない、等々の状況が伝わってきました。
 カンボジアでは、校舎建設時にホワイトボードを寄贈したことは何度もありますが、まさか日本でホワイトボードが必要という状況になるとは・・・。電話を受けながら最初は不思議な感じがしましたが、JHPがセンター運営の一翼を担っている現状を考えるとすぐに納得できました。
 翌13日(水)の運営協議会にて、全国から寄せられた救援募金の一部を、ホワイトボード10台の購入費としてありがたく使わせていたたくことが決まり、事務局では早速調達に向けてネットで調べることになりました。検索すると、大きさや素材など、多種多彩なホワイトボードが見つかりましたが、将来的に南三陸町の施設で活用してもらえるように、若干割高でも日本製のしっかりした素材のボードを選ぶことにしました。これは、カンボジアの学校建設で「孫の代まで使える校舎」を作るという方針を掲げていることと同じ考えによるものです。
 さて、ネット上の入力が完了し、後は届け先・・・、という所で問題が発生しました。送料無料ということは、当然南三陸町の指定した場所まで届けてくれるはずなのですが、それが不可能という返信が届いたのです。震災の影響で、業者が契約している宅配会社が配達不能地域に指定しているとの内容でした。
 ここであきらめる訳にはいきません。ボランティアセンター運営でお世話になった登米市社会福祉協議会の方に電話で荷受先の相談をした所、ご親切にも南三陸町に一番近い登米市内の福祉施設を荷受先として紹介してもらえることになりました。
 その後、ホワイトボード10台が登米市の福祉施設に無事到着したことを確認し、4月20日(水)早朝に到着したJHPボランティア2名に受け取りに行ってもらいました。しかし、想像以上に大きな梱包で全部は積みきれず、輸送までご協力いただき、ようやく南三陸町まで運び込むことができました。
 紆余曲折ありましたが、組み立てが終わったホワイトボードは、センター各所に設置され、写真の通り活用が始まったようです。
 今回、皆さまのご支援で購入したホワイトボードは、センター運営の効率化のみならず、ボランティア活動の充実を通じて南三陸町の復興にも役立てられます。
 災害ボランティアセンターとは、毎日集まってくる数多くのボランティアさんの活動を支える事務局と言い換える事もできるでしょう。窓口業務を担当しているJHPにとっても、このホワイトボードは心強いパートナーになってくれるはずです。

レポート:中込祥高

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第20号(2011年4月17日発行)

第7次隊 企業支援の軽車両、本日運行開始!

 毎週土曜日は同じようなレポートばかり…、という声が聞こえてきそうですが、この同じような派遣を続けるだけでも、なかなかの体力勝負になってきています。
第7次隊からは、カレッジ隊、カンボジア隊経験者からエントリーを受け付け、その中から水曜日に派遣者を決定するという流れを作っています。今回も、第6次隊同様に若いメンバーを積極的に派遣することになり、フレッシュな顔ぶれになりましたが、「学生だから…」「若いから…」という言い訳は通用する現場ではないことは十分に理解しています。若いメンバーが、笑顔と素直さで経験を補い、ボランティアセンター運営面でパワーを発揮してくれることを期待しています。
 さて、今回は待望のJHP専用車両の運行開始日となりました。カンボジアの学校建設でもご支援をいただいている、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル,Inc.様より、JHPの救援活動に対して人員や物資を輸送するための軽車輌1台をご支援いただきました。これは、アメリカン・エキスプレスのカード会員の方々が、カード利用によって貯まったポイントを寄付して下さったことにより提供されたものです。車両には"SMILE JAPAN ‐世界中の「心」を届けたい‐"と書かれたステッカーが貼られ、準備万端。今日からは、ポイントを寄付して下さった多くの方々の思いを背負って支援を行うことになります。運転手は少し緊張するだろうなぁ〜と思いつつ、安全第一で「笑顔」と「心」を届ける仕事に東奔西走してくれることを願っています。
 今日の出発には、川端さん(1999年カンボジア12月隊)、本田さん(2001年カンボジア3月隊)、竹村さん(1999年ユーゴ隊、2001年インド隊)の3名が見送りに来てくれました。社会人には1週間の参加は難しいようですが、現場で活躍してくれる若いボランティアを支えることはできるのではないか? と出発後も事務所に残って話をしていました。
 第7次隊は、本日夕方には石巻市内のボランティア活動拠点に到着。第6次隊メンバーも本日夜に石巻まで移動し、両隊による引き継ぎ作業が行われます。

●第7次隊参加者(4月16日〜)
[4月17日まで]
立花義之(会員ボランティア、小山内事務所所属)※運転担当
佐々木元康(会員ボランティア、カレッジ4期生)※運転担当
[4月24日まで]
平野歩(会員ボランティア、カレッジ5期生、震災ボランティア第3次隊)
犬飼佑子(会員ボランティア、2005年カンボジア3月隊)
福田祐莉江(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
江口友介(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
太田圭(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
[5月1日まで]
木村晋也(JHP職員、震災第1、2次隊参加)※事務局責任者

●車輌協力者
・アメリカン・エキスプレス・インターナショナル,Inc.様より、軽車両1台を提供いただきました。今後の南三陸町の活動現場で長期的に使用させていただきます。
・有限会社オノデラゴルフ 小野寺大輔さん(JHP支援者) ※借用期間:4月16〜18日

レポート:中込祥高(JHP事務局長)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第19号(2011年4月16日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート
森勇樹(日本大学文理学部社会学科 3年、国際ボランティア・カレッジ第5期生、震災ボランティア第3次隊参加)

 私は3/26〜4/3の間、災害ボランティアセンターの運営という形で地元の社会福祉協議会と近畿ブロックから応援で派遣されてきた社会福祉協議会の皆さんと一緒に、活動してきました。
 主に自分の仕事はボランティアにいらっしゃる方々の受付・登録、避難所や被災者の方々からのニーズとボランティアさんをマッチングさせるコーディネートの仕事でした。
 やはり現地の状態はひどいもので、帰るときに強く思ったのですが、同じだけの震度だった地域でも津波が来ていないところは人の暮らしが営まれていますが、津波の来た地域、車でならほんの少し走るだけで着く距離なのに、そこに入った途端全く違う風景が広がっていました。
 報道で見られるようなガレキもそうですが、かつては暮らしがあったであろう場所には土台だけ残された建物の跡や、土砂と木材がぎっしり詰まった廃墟もありました。それにあいまって何もない静けさと津波の後の穏やかな海が広がり、逆にそれがぞっとする光景でした。

 現地は日々一刻と状況が変化し、ニーズがどんどん多様化しています。その要望にボランティアの受け入れ側であるボランティアセンターと志願者がどれだけ追いつけるかが、これからは大切になってくるのではないかと思います。
 また避難所への支援物資の行き渡り具合にも格差が生じており、こちらも早くに改善が必要だと強く思います。
 被災者の皆さんは疲労も見えますが、中にはボランティアを進んで手伝って下さる方や、私達のことを気遣って下さる方もいて、支援に行った私達の方が励まされました。
 今回の派遣でボランティアの受け入れ、行政と民間の協力を図ることの大変さなどを知ることができたように思います。
 ボランティアの手を必要としている人はきっといると思うのですが、受け入れる側の行政やボランティアセンターの体制が追いついていない為に即時に支援を送れない状態がとても歯がゆく、悔しかったです。これからは私達もNGOのもつ利点である速効性を生かした活動ができるとよいなと思いました。
 自分の未熟さ、力不足も強く感じたので、これから勉強をし、また次にボランティアとして支援に携われる機会により頼れる人材となれるよう、精進しようと思います。
 現地から帰った今も、「今の自分にできること」を考えて少しでも南三陸町を始めとする三陸の被災地のためにできることを考えて生活していきたいと思っています。
 きっと現地に行きたくても行けないという方々も多くいると思いますが、今私達に必要なのは過度な自粛や自分本位の行動ではなく、「被災している人たちのことを常に忘れず、自分の生活の中でできることをする」ということだと思います。
 一日も早く、多くの人が元の生活を取り戻せるように私もやれることを続けていきたいです。

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第18号(2011年4月15日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート
亀山雄太 (2011年カンボジア3月隊、震災ボランティア第5次隊)

 災害ボランティアセンターの地域支援班として約1週間地域を回り、テレビや新聞を通じて外から町を見るだけでは見られないようなことを多く見ることができました。まず、南三陸町に行く以前は、「東北は被災地である。」「そこに住む方々はみな一律被災者である。」といった構図でしか見ることができませんでした。しかし、避難所を回り被災された方の顔を見て話すことで各避難所でも様子が異なり、被災された方ひとりひとり違うバックグラウンドをもち各々に生活の営みがあるのだということに気づかされました。町で生活している人全員を被災者という一つのカテゴリーでまとめられるものでは無いと思いました。それと、町の人が必要としていることを把握し物資やボランティアを届けることがいかに難しいことか考えさせられました。物資に関しては、例えば、ある避難所が高齢者用の下着を欲しいと発信したとき全国から直接その避難所に下着が届いてしまったら必要な数を遥かに超えてしまう可能性があり、逆に避難所は処理に困り負担になってしまうかもしれません。しかし、だからといってじっくり様子を見ながら対応していては遅れてしまい問題です。また、地域が自分たちの力で物資を調達できる力を持ち始め、自立できそうになってきたときにその地域に必要以上の物資を送り続けてしまったら自助努力できる機会を奪ってしまうことになるかもしれません。日々変化するニーズを捉え対応するということは難しいと感じました。またボランティアに関しては、例えば、地域から散髪をして欲しいという要望がでてきたとき、もしそのコミュニティーの中に散髪できる人がいるのに外部から散髪をするボランティアの人が来てしまったら地域の中で経済が回る機会を摘んでしまうことになってしまうかもしれません。今まで町が必要としていることは何かを表面上でしか考えていませんでしたが、長期的に見て町にとって何がためになるのかを考えなくてはいけないと感じさせられました。
 南三陸町の方々はみな忍耐力があります。多くの人が前を向いていて自分たちで何とかしようという意気込みがあり非常に力強いという印象を受けました。その中で、自分に何ができるかもう一度考え、また少しでもお手伝いができればと思います。

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第17号(2011年4月12日発行)

南三陸町ボランティア活動レポート
佐藤優雅(2010年カンボジア3月隊、震災ボランティア第5次隊)

 現地に入ったときは、50前後存在しているだろう避難所の把握をしているところだった。ボランティアや物資のニーズに答えるため、足で探し集めてきた情報をデータ化し、業務をマッチングさせるというものだった。しかし未だ確定要素が多く、多数の主体が避難所で独自に動いているなかで、情報整理は困難を強いられた。避難所の存在を把握し、ニーズに対するマッチングを行うが、情報がアナログのためタイムラグが発生し、情報は蓄積されているのにアウトプットする人員不足にも悩まされた。また、物資配送ルートの全貌が掴めていないため、末端の避難所に回らないという問題が生じ、炊き出しの重複の問題も大きな課題となった。そういった対応に日々追われていた。その反面、既に過剰となっている類の物資どう抑えるかということも問題になっていた。
 近畿ブロックから派遣されている社会福祉協議会メンバーとの全体ミーティングで、現段階で最善だと思われるチーム再編成を協議し、責任者に決裁されれば新しい編成でやってみようとなった矢先に大きな地震に見舞われた。あの晩の地震で欠員が出て、編成の件は見送りになり交代を迎えた。その点では、あと一歩だったのにと非常に悔しい思いをした。しかしながら、行政、自衛隊、避難所の自治運営主体、医療チーム、NGOやボランティアなどときちんとネットワークを再度構築して無駄な動きをなくそうとする協議も再びもたれる様子で調整が行われはじめていた。隊の活動期間はそこで終了することになったので、次期メンバーに引き継がれることなった。
 再編成を提案された日の協議では、みんなでランタンを持ち寄り、真っ暗な部屋で社協・その他協力団体のメンバーと長時間にわたって真剣に話し続けた。あと2日でできる事、しなければならない事を。毎日があっという間に過ぎていった。あっという間に時間は去ったけど、振り返ってみると非常に長い間活動したように感じる。

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第16号(2011年4月10 日発行)

「顔ぶれ多彩な第6次隊!」

 4月9日(土)午前7時40分、東京事務所のドアの前には、すでに数名のボランティアが集まっていました。集合20分前に待機している学生ボランティアの意気込みがヒシヒシと伝わってきました。到着した人から順次荷積み作業を開始。今日は朝から出発準備と見送りのために川端さん(1999年カンボジア12月隊)、 中村さん(2011年カンボジア3月隊)の2名も集まってくれました。今回は人員輸送がメインであるため、救援物資は必要最小限とし、JHPの拠点に必要な備品や飲料水などが中心となりました。
 3月24日、第2次隊が南三陸町に出発して以来、今日で17日目を迎えます。第6次隊参加者は合計8名で、内6名は1週間以上の滞在となります。
ここで8名を簡単に紹介します。往復の運転は、佐谷理事と立花さんのベテラン組。学生メンバーは、事務局定期ボランティアでリーダー格の井口さん。そして、カンボジア3月隊から帰国して間もない大西さん、金さん、北アさんというフレッシュな顔ぶれ。カンボジア活動中に震災を知った3人は、帰ったらボランティアに行きたいと思っていたそうです。その意気込みから、何度か事務局に顔を出してくれていました。社会人ボランティアの影山さんは、学生時代に阪神・淡路大震災のJHP活動に参加した経歴あり。今回は会社から長期活動が認められたため、JHPに合流することになりました。そして、事務局責任者は、海外駐在経験の豊富な清国部長が務めます。
 今回は、支援者から車輌提供の申し出があり、活動に必要な車輌を貸していただきました。(以下の車輌協力者欄を参照)車輌と運転手は南三陸町での活動に欠かせません。今後も皆さまのご協力をお願い申し上げます。
さて、第6次隊メンバーは、午前8時50分に3台そろって東京事務所を出発。8名の内、災害ボランティアセンターの活動を引継ぐメンバーは、今日中に南三陸町の平成の森に向かいます。残りは立花さんの実家(石巻市)に宿泊し、10日朝に合流を予定しています。

●第6次隊参加者(4月9日〜)
〔4月10日まで〕 
佐谷隆一(JHP理事、第4次隊参加)
立花義之(会員ボランティア、小山内事務所所属、第1、2次隊参加)
〔4月17日まで〕 
大西康友(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
金奉永(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
北ア智子(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
井口歩(会員ボランティア、2008年8月隊、アフリカ隊)
〔4月24日まで〕
清国将義(JHP職員、海外事業部長)
〔長期参加〕
影山伸一(会員ボランティア、阪神大震災活動参加、4月9日〜長期予定)

●車輌協力者
第6次隊活動に車輌のご協力をいただきました。ありがとうございます。
・森田幸子さん(会員ボランティア) ※借用期間:4月9日〜調整中
・有限会社オノデラゴルフ 小野寺大輔さん(JHP支援者) ※借用期間:4月9〜11日
・影山伸一さん(自家用にて活動に参加) 

※ご協力のお願い!
JHP会員の方で、車輌の提供(6〜8人乗りの車輌)、運転ボランティア(1週間滞在)が可能な方がいましたら、事務局(担当:中込、田中)までご連絡ください。よろしくお願いいたします。
「車輌をお持ちの方で、且つ1週間滞在・運転が可能な方」に優先的にお願いをさせていただきます。「車輌貸し出し」、「滞在・運転」のどちらかが可能な方についても、お問い合わせをお待ちしています。
安全上の理由で、運転ボランティアの方は、免許取得後5年以上で、年間を通じて運転をしている方とさせていただきます。

■活動期間(1週間の滞在):
・往路日程:4月16日(土)早朝にJHP東京事務所(港区芝)を出発
・復路日程:4月24日(日)夜に東京事務所到着→解散

■運転ボランティアの内容
・東京〜石巻市の往復運転(1往復)
・石巻市〜南三陸町の往復運転(1週間毎日)
※運転以外の時間は、南三陸町でのボランティア活動にご協力いただきます。

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第15号(2011年4月9 日発行)

「企業と連携、炊き出し活動の報告」

 ヒューマンパワー便り第11号で紹介した甲信食糧且ミ長の中込武文さんより、4月1〜4日まで実施した炊き出し活動の報告が届きました。
 休日返上で南三陸町に駆けつけ、今まで見たこともないような大きな鍋でほうとうを作ってくださり本当にありがとうございました。
 今回同様に、様々な企業や団体の皆さまと連携を図ることで、私たちが東北の方々にできることを広げていきたいと考えおります。(JHP事務局)

●中込武文さんからの報告
今回の活動では、被災された皆さんとお話が出来、多くのことを教えてもらいました。
焚き火をしていた漁師のおじさんが、
「あの津波で死ぬのも地獄だが、生きるも地獄だよ。死んだほうが楽だったよ。」
と、ぽつっと話していました。どうして、南三陸町の多くの人たちがこの土地を離れないのかちょっとわかった気がしました。
「でも、生きてたからこうしてうまいもんが食えるだ。ボランティアの人達がこうしてきてくれるから何とかやっていけるんだ。こんな恩、とても返しきれねーだ。」
同じ漁師のおじさんはこう語ってくれました。
 今回、ほうとうは3千食用意して、以下の4ヶ所の避難所で1300食を食べていただきました。

4月2日夜 平成の森 300食
4月3日昼 泊浜 600食
夜 馬場中山 200食
4月4日昼 石浜 200食

 残りの食材は、4ヶ所の避難所にそれぞれ配りました。特にお肉と野菜は喜んでくれました。
 ほとんどの方が初めて食べる人たちで、「うまいねー」、「おいしいねー」と話していました。
 町の方々には、山梨県の武田信玄の野戦食で、味噌煮込みうどんと説明しました。(ちなみに、武田信玄の軍旗で有名な「風林火山」を最初に使用したのは、陸奥多賀国府(現在の宮城県多賀城市)の北畠顕家との説が・・・。これも何かの縁かも知れません。)

 活動に参加した社員の2名は、次のように話しています。

「簡単な気持ちでボランティアに参加したけれど、被災地の皆さんと接すると、そんな簡単な気持ちじゃだめなんだとつくづく感じました。」(秋山良仁)

 「地震の影響で売り上げもものすごく下がってしまったが、私達には家も家族も職場もある。いつでもスタート出来るところがある。被災地の人に負けないように私も頑張ろうと勇気をもらった3日間でした。」(上田健佑)

 食品会社として、カンボジアでの教育支援以外に、日本の震災救援活動でもNPOと連携できたことは、新たな経験になりました。参加した社員2名にとっても、この経験が人生のどこかで必ず活かされると思います。
 南三陸町ではJHP職員の木村さんにコーディネートしてもらい助かりました。また、4月3日にはJHPボランティアの立石さん、石川さん、中村さんの3名に加わっていただき準備をスムーズに進めることができました。
 私たちの郷土料理のほうとうが、被災された方々の悲しみや避難所生活の辛さを、ほんの一瞬でも忘れさせることができたのなら・・・。
 風のごとく通り過ぎた4日間ではありましたが、私たち3人の気持ちは動くことなくこの町に残してきたつもりです。社員の2人には、次回の班長を任せたいと考えています。

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第14号(2011年4月6日発行)

「つなプロ参加者の声〜ヒアリング活動を通じて知った現実〜」

 今回は、JHP・学校をつくる会から、「被災地とNPOをつないで支える合同プロジェクト」(通称:つなプロ)に参加された方の声をご紹介します。
 震災後、同プロジェクトで東京側の事務局を担当するNPO法人かものはしプロジェクトより協力要請の電話があり、JHP活動隊やカレッジ隊経験者にメールで連絡しました。すると2〜3日のうちに30人を超える問い合わせが入り、第一期派遣には13名が参加することになりました。
 一人一人思うこと・感じることは異なりますが、全ては真実に違いありません。
 JHPから参加したボランティアのリアルな声をお届けします。

 「雄勝地区の光景を見たときは背筋が凍る思いでした。私は声を発することができず、現地に来なければ感じることができないような気持ちでした。ここには文字通り何もありませんでした。津波が来なければ漁師が漁をしに船を出し、その上にはカモメが飛んでいるような優雅でのどかな場所をイメージできますが、津波は全てを奪っていきました。避難所では避難されている方々がテントを張ってガスや水、電気がない中、お互いに協力されていて、自分が被災地に対して様々な先入観を抱えていることに気付きました。」(加地)

 「私達が訪れた渡波地区は市内でも被害が非常に大きい地域です。私たちは被災地にいる特別なニーズを持つ人(障がい者、高齢者、妊産婦など)とNPOをつなぐために活動しています。しかしこの地区では健常者さえも生活の保障がされていない状況です。
 また、土砂に関しては本当に悲惨な状態でした。一番必要なのは水・電気・そして土砂を取り除く作業だそうです。窓が大きい家や店舗、学校は窓が割れ、中に家の2階部分や車が入り込んでしまっている状態です。自分の家財道具は他の場所へ、自分の家にはほかの人のものがぎっしり詰まっている状況です。思い出も全てなくなってしまいショックだと感じました」(井口)

 「これまで築いた一切のものを崩し、砕き、また、静かなものに戻る姿を見て、多くの事を考えさせられました。次に何をするべきか、しっかりと考えて行動しようと強く噛みしめたプロジェクトでした。とにかく一歩一歩復興に向けて進もうと強く思っています。現地調査に行く前は、不安なこともありましたが、やってみると色々見えてきて、今回の大災害にどう立ち向かうべきかはっきりとしてきました。一緒に行動している若者達はとてもさわやかで、やる気満々の姿を見せてくれています」(大黒)

 「今、多くの避難所を訪れ、色々な方から現地の状況を伺っています。ある時、被害の大きい避難所で、被災者の女性から「私頑張るから!」と言われ、私は何も言葉を返せませんでした。なぜなら彼女はその避難所の中でも一番頑張っていたからです。本当に頑張っている人に「頑張ってください。」なんて言うことはできません。結局ただ話を聞きうなずくことしかできず、それ以来ずっと、早く復興できるように自分ができることを模索しています」(浜部)

以上です。

 JHPから参加した13名のうち、期間延長で残った1名以外は、4月3日に無事に帰宅しております。今後、現場で活動したボランティアから現地状況を詳しく聞きながら、JHPとして「つなプロ」への協力を検討していきたいと思います。
 今回載せることができなかった「参加者からの声」につきましては、次回掲載予定ですので、皆さま引き続きご覧頂ければ幸いです。

(レポート:中込祥高、田中宗一)

(2011-04-06)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第13号(2011年4月5 日発行)

「JHP第5次隊派遣!〜温かいサポートを詰め込んで〜」

 4月2日(土)午前8時、第5次隊8名と、同行する三島ロータリークラブの皆さんと石川嘉男さんが東京事務所に集合しました。
 今回は、3月19日にカンボジア研修から帰国以来、震災活動の最前線で活躍している木村さん(カレッジ事務長)の交替要員派遣、ボランティア人員補強、JHP拠点の食料・備品補充も兼ねての派遣となりました。
 震災以来、JHPには全国各地の支援者より、救援募金や物資が届いております。その中には、
 「実際に活動に行くことはできないけれど、現場で汗を流しているJHPのボランティアの栄養補給になれば・・・」と応援くださる方も数多くいます。
 今回、第5次隊に同行する石川さんは、震災後に海外の知り合いから支援を希望する連絡が入ったそうです。JHP会員で元理事の立石さんとは長年のお知り合いとのことで、この繋がりがご縁となり、ご支援をいただくことになりました。石川さんからのご寄付は、第4次隊ですでに輸送したバイク1台分の購入費にも使わせていただきました。また、スタッフ用の飲食料品、滞在に必要な備品購入費の一部にも使わせていただきました。
 また、カンボジア隊派遣時に毎回お世話になっている株式会社ウメタ様より、主にスタッフ用として梅干など関連商品をご提供いただきました。炎天下のカンボジアで小山内代表から梅干を補給してもらったことを覚えているJHP卒業生も多いはず・・・。今回はまだ寒い東北の地で、梅干パワーが発揮されることでしょう。
 そして、第1、2次隊で活躍した立花さん(会員ボランティア、小山内事務所所属)からは、長期滞在の木村さん他メンバーのために、野菜たっぷりの自家製ビーフシチューの差し入れがありました。第5次隊出発の朝に立花さん自ら事務所に届け、メンバーに託してくれました。
 このような温かいサポートをしっかり詰め込んで、第5次隊は午前8時30分、南三陸町に向けて出発しました。(第5次隊のその後の詳細報告は、「南三陸町活動レポート」をご覧ください。)

●第5次隊参加者(4月2日〜)
〔4月2日まで〕 
芳賀幸子(会員ボランティア、元JHP職員)
〔4月3日まで〕 
立石義明(会員ボランティア、元JHP理事)
中村真佐人(会員ボランティア、2002年カンボジア8月隊)
〔4月5日まで〕
山岡修一(JHP理事、第2、3次隊参加)
〔4月10日まで〕
鳥居由美子(JHP職員、国内イベント・カレッジ担当)
佐藤優雅(会員ボランティア、2010年カンボジア3月隊)
亀山雄太(会員ボランティア、2011年カンボジア3月隊)
古木建(会員ボランティア)

●第5次隊活動協力者・団体(順不同、敬称略)
  〔4月3日まで〕
   三島ロータリークラブ
   石川嘉男

(レポート:中込祥高)

(2011-04-05)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第12号(2011年4月4 日発行)

「南三陸町ボランティアレポート」
津田塾大学1年(新2年) 平野歩(カレッジ5期生)

 3月26日から29日まで、学生ボランティアとして南三陸町へ行ってきました。
私は地震を経験しなかったこともあってか、テレビや新聞で毎日繰り返し報道される光景を「ひどい状況だな」と思いながらも、その悲惨さを実感できずにいました。
26日は移動日になり27日に現地入りしました。車で南三陸町の中へ進み、目の当りにした光景は想像を絶するものでした。確かにそこに広がっているのはテレビの画面を通してみていたはずの光景なのに、その場の空気やにおいを実感することで東京で見ていた時とは違うものを感じました。
活動内容は、避難所となったベイサイドアリーナでJHPが災害ボランティアセンターの立ち上げ・運営を行っていたので、ボランティアでいらっしゃる個人や団体の方々を受付し、ボランティア登録をして、作業を振り分ける、ということをしました。(作業の振り分けは近畿社会福祉協議会の方が主にやってくださいました。)
 今回ほんの数日間だけでしたが、活動に参加させて頂き本当に貴重な経験ができたと感謝しております。しかし、その反面自分の中で消化不良な部分があることも事実です。災害ボランティアセンターの運営側というのは、個人ボランティアとして被災地にはいった場合経験することのできない立場だと思います。私がいた期間は短かったためわずかではありましたが、被災者の方からの生の声、ニーズを聞くこともできました。またボランティアに来られる多種多様な方々や、被災者ボランティアとして活動なさっている方々とのやりとりは「ボランティアとは何か」考えさせられるものでした。南三陸町の社協の方や連日通って下さっていたボランティアの方々とコミュニケーションがとれるようになってきた時に、私用のために東京に帰らなければならずとても残念でした。どんどん日々状況が変わっていく被災地をもう少しこの目で見、体感したかったです。
 大地震の日から約3週間がたちました。この先もボランティアの需要は続くと思いますが、特にスキルもない私にできることは限られているかもしれません。しかし南三陸町社会福祉協議会の課長さんが私の帰り際に言って下さった言葉が忘れられません。
「来てくれるだけでありがたいよ。忘れないでね。また顔を見せにきてね。」
今後も今の思いを忘れることなく引き続き活動に参加させて頂きたいと思います。

(レポート:津田塾大学1年(新2年) 平野歩(小山内美江子 国際ボランティア・カレッジ5期生))

(2011-04-04)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第11号(2011年4月3 日発行)

「支援企業が炊き出しに出発!」

 4月1日(金)、関東給食会傘下の企業で、カンボジアでのワークキャンプにも毎年参加している甲信食糧梶i代表:中込武文氏)の炊き出し隊が出発しました。
 震災後は、JHPが活動する際のトラックの提供を依頼していましたが、山梨でも燃料が不足しており、本業の給食配送もままならない状況とのことでした。また、炊き出しに必要な、なべや釜の提供も打診していましたが、それよりも会社として全面的に協力したいとの申し出があり、社長自ら若手社員の秋山良仁さん、上田健佑さんの2名をつれて参加してくれることになりました。
 南三陸町の被災された方々に提供するのは、山梨名物の「ほうとう」。それも、3日間に3000食を作れるだけの準備をするとの申し出に、事務局もびっくりしました。

3000食分の主な食材は以下の通り。
ほうとう 210Kg
白菜   60玉
にんじん 50Kg
大根   80本
長ネギ 10箱
冷凍かぼちゃ 200袋
かぼじゃ(生)  56個
冷凍さといも  120袋
水    約1t
みそ   90Kg

 山梨を出発後、保冷用の2tトラックは、夕方5時半頃東北道蓮田PA(埼玉県)に到着。ここで事務局長中込と打ち合わせのため合流。現地でコーディネートをする木村さんからの情報や、道路状況などを伝えました。また、ほうとうを配膳するためのどんぶり(発泡スチロール製)を渡すことができました。
 トラックの前につけられたステッカーには、「9953号 救急GO!三陸号」の文字が・・・。これは実は車両のナンバープレートの「9953」から社長自ら考えたそうです。(ナンバープレートの写真は防犯上の理由で割愛します)
甲信食糧鰍フ3名は、夕方6時半頃に蓮田PAを出発。明日4月2日の夕食から、JHPのボランティアと共に、南三陸町の皆さんに温かい「ほうとう」を提供させていただきます。

(レポート:中込祥高)

(2011-04-03)

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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第10号(2011年3月31 日発行)

「第4次隊、南三陸町へバイク輸送!」

 3月28日(月)、前日から借りていた軽バンにて大田区内の支援者を訪問。午前8時15分に、中島クリーニングさんより、ポリタンク13個(灯油は約30リットル)をいただきました。途中で、ポリタンクに灯油90リットルを給油し、9時半に事務所に到着。その後、港区役所で50ccバイクの登録作業を行いました。港区の窓口の方が親切かつ迅速に応対くださり本当に助かりました。これで、輸送後すぐにバイクが使える準備が整いました。
 第4次隊は、前日に2tトラックを駐車した埼玉県羽生市までは、軽バンと乗用車で物資と人員を送り届け、羽生IC近くのガソリンスタンドで詰め替えと給油をして出発する段取りを組むことになりました。
 準備に少し時間がかかり、11時半過ぎに東京事務所を出発。首都高速も所々混んでいただめ、待ち合わせのガソリンスタンドに到着したのが午後1時半になってしまいました。中込の高校の同級生で、バイク店株式会社HA・YA・TEを経営している須永さんはすでに到着しており、さっそく2台の車からトラックに荷物を積み替える作業に取り掛かりました。週末に急いで整備をしてもらったバイク2台と、須永さんから寄贈いただい自転車2台はすでにトラック内に固定されており、空いたスペースに灯油のポリタンク、生活用品(ティッシュペーパー)、新品衣類(毛糸セーター、Tシャツ他)、お米(50kg)、調味料、バナナ2箱、ペットフード等を積み込みました。須永さんからは、たくさんの救援物資やスタッフ用の飲食料をいただきました。
 午後2時15分、給油も終わり、物資を積んだ2tトラックは羽生IC近くのガソリンスタンドを出発しました。その後、第4次隊の2名は、午後8時15分に宮城県小牛田のホテルに到着し、本日のスケジュールを無事に終えました。

●第4次隊参加者(2名)
佐谷隆一(JHP理事)
黒田昌樹(会員ボランティア、2004年カンボジア3月隊参加)

●第4次隊運搬協力(JHP東京事務所〜羽生市往復)
森田幸子(会員ボランティア)

 翌3月29日、午前6時30分、2名は第3次隊から現場に入っている山岡理事と合流し、小牛田のホテルを出発。午前9時には南三陸町に到着し、荷物の積み下ろしを行いました。待望のバイクも試運転! 今後の機動力として活躍が期待されます。佐谷理事は各所視察のほか、同町関係者へ理事として挨拶。黒田さんは災害ボランティアセンターの受付業務を引き継ぎ、さっそく仕事に入りました。黒田さんはこれから1週間の滞在となります。12時10分、第3次隊の山岡理事、平野歩さん、第4次隊の佐谷理事は南三陸町を出発。途中大崎市古川でレンタカーを返却し、山岡理事の車両で午後7時30分に無事東京に到着しました。
 3月24日の第2次隊以降、JHP役職員、ボランティアがたすきをつなぐ形で、南三陸町での活動は引き継がれています。

(レポート:中込祥高)

(2011-03-31)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第9号(2011年3月29日)

Pray for Japan x Japanese NGO Network

 2011年3月27日(日)、カンボジアの首都プノンペンで東日本大震災の被災者を支援するイベントが行われました。「Pray for Japan x Japanese NGO Network」 (「日本のために祈ろうx日本NGOネットワーク」)と題するこの支援活動は、カンボジア国内で活動する日本のNGOの有志が中心となり、プノンペン市当局の協力を得て行われました。
 当日は朝9時より、約90人の日本人とカンボジア人ボランティアが、"Pray for Japan"(「日本のために祈ろう」の意)を合言葉に、街行く人々に支援を呼びかけました。普段は観光客でにぎわうトンレサップ川沿いのイベント会場には、多くの人が足を運び、被災者へ励ましのメッセージを記したり、支援Tシャツ買ったり、寄付を行ったりしました。JHPが過去支援した学校も数校来場し、メッセージと寄付を寄せてくれました。
 カンボジア日本友好学園サクラ小学校教員と生徒達からは、「非常に悲しい気持ちです。早期の復興と、皆さんがこの大きな障害に打ち勝つ事を望みます。被災者の皆様にお見舞い申し上げるとともに、このような災害がこれ以上起こらないようお祈りいたします。」との手紙をいただきました。
 また、JHPのワットプノン中学・高校マーチングバンドが演奏を行い、来場者を惹きつけました。マーチングバンドの生徒たちは皆ボランティアとして駆け付け、演奏し、さらには寄付を持ってきた生徒、メッセージを残してくれた生徒がいました。
遠くカンボジアから日本を応援している人たちの存在を伝えることで、被災者を励ましたい、という意図で始まったイベントですが、これまで援助される側にいたカンボジア人が、困難に直面する日本人を思い遣る気持ちを目の当たりにし、感動を覚えました。このイベントがカンボジア人と日本人の友情をさらに強めるきっかけになるのではと思います。また、ベトナム、中国、ヨーロッパ、アメリカの方々も寄付、メッセージを寄せてくださり、改めて世界中の方々が日本を応援してくれることに、心強く思いました。
 当日は、およそ2000人が会場を訪れ、304のメッセージと義援金6,700ドルほどが寄せられました(今後更に増える見込み)。メッセージは被災者の方々にお伝えできるよう手段を取り、また、集められた義援金は現地で救援活動を行う31のNGO団体を支援するために、「東北関東大震災緊急支援まとめて募金」を立ち上げた国際協力NGOセンター(JANIC)へ贈られます。

レポート:中山中(JHPプノンペン事務所駐在員)

(2011-03-29)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第8号(2011年3月28日)

「JHP第3次隊、三島RC、せせらぎ三島RC、SI駿河と連携派遣」

 3月26日(土)午前8時、第3次隊メンバー5名が東京事務所に集合しました。
 今回は、JHP山岡理事からの連絡で、ロータリークラブ、ソロプチミスト関係者との連携で派遣が実現しました。
 午前8時半、RC提供の中型バス1台が先に出発。山岡理事の車両は追加の物資を積み直し9時に東京事務所を出発しました。
 午後2時半、東北道古川IC着。中型バスの荷物や、現地手配のレンタカー(2tトラック)に積み直し、中型バスはそのまま帰路へ。3時40分には積込み完了。この日の第3次隊の任務はここまでとし、ようやく探した宿に素泊まりで滞在となりました。

 第3次隊には、3月24日にカンボジアから帰国したばかりの大槻征玄さん(カンボジア3月隊、宮城県利府町出身)もRC提供の中型バスに同乗し、無事に帰省することができました。朝一番早くに到着し、積込み作業を手伝ってくれた大槻さんは、
「カンボジア活動中に大地震を知って驚いた。カンボジアから直接家に連絡したが、なかなか繋がらず心配だった。数日してから、大学の先生を経由して家族の無事を知りました。カンボジアでの経験を活かして、今度は日本でボランティア活動をしたいと思います。」
と話してくれました。落ち着いたらJHPの救援活動に参加してくれることを期待しています。

 翌3月27日(日)、第3次隊は午前5時35分に宿舎を出発。南三陸町には7時半に到着し、現地担当の木村さんと合流。JHPとRCの支援物資を南三陸町の災害ボランティアセンターがあるベイサイドアリーナに無事に届けることができました。
 今回は、数ある支援物資の中に、ライフデンタルクリニック(院長:富施博介氏)からご提供いただいた歯ブラシ1000本と歯磨き粉20個を届けることができました。木村さんから「歯ブラシが不足している!」との情報が前日に入り、事務局内で提供者を探した所、職員の鳥居さんが富施さんのブログを見つけ、第3次の輸送に間に合わせることができました。

 第3次隊の小野寺さん、高原さんは月曜日から仕事があるため、27日午後1時に2tトラックにて南三陸町を出発。午後8時15分、第4次隊との中継拠点として定めた、東北道羽生IC近くのバイク店株式会社HA・YA・TEに到着しました。ここでJHP活動の足となるバイク2台他を積み込んで、翌日28日に第4次隊が南三陸町に向かう予定です。

【第3次隊派遣者】
 山岡修一(JHP理事)
 小野寺良輔(会員ボランティア、1999年カンボジア3月隊、2000年カンボジア12月隊)
 高原聡(会員ボランティア、2005年カンボジア8月隊)
 森勇樹(会員ボランティア、カレッジ5期生)
 平野歩(会員ボランティア、カレッジ5期生)

【第3次隊派遣協力団体】
 三島ロータリークラブ(会長:山岡修一氏)
 せせらぎ三島ロータリークラブ(会長:西原克甫氏)
 国際ソロプチミスト駿河(会長:須沢洋子氏)
※上記3団体より、中型バス1台(運転含む)、各種支援物資を提供いただきました。ご協力ありがとうございました。

【主な支援物資】
・ミネラルウォーター 240L
・マスク 10000枚
・粉ミルク 120缶(108Kg)
・生理用品 200人分
・歯ブラシ 1000本(大900本、小100本)
・歯磨き粉 20本
・ラップ 60本(1200m分)
・カップ麺類 約400食分
・みかん 6箱
・米 約30Kg
・生活用品(テッシュ、トイレットペーパー等)

(レポート:中込祥高)

(2011-03-28)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第7号(2011年3月26日)

「国境を越えた支援の輪、続々と」

 「日本は、戦後の物不足で国民が貧困生活を送っていましたが、カンボジアからお米を支援してもらったことがある…。」
 JHPが運営する「国際ボランティア・カレッジ」の講義で、小山内塾長や今川副塾長が良く話す、知られざるエピソードです。
 日本は経済的に発展し、JHPはカンボジアの教育支援を18年間継続していますが、これは、「困った時はお互い様」の精神の表れで、当時の支援に対するお礼の意味も込められています。

 さて、3月11日の大震災以来、カンボジアから心温まるお見舞いとご寄付が続々と届いています。

カンダール県クデイタコイ小学校
1997年12月に、被災を受けた大船渡市にある株式会社アマタケのご支援で1棟5教室の校舎が贈呈され、今に至るまで女性校長の清掃指導が評判の学校です。校長先生と生徒代表からのお見舞い状は次の通り。プノンペン事務所が10万リエル(約25ドル)のご寄付をお預かりしています。

「お見舞い状」

 私達、クデイタコイ小学校校長、副校長、教師一同は、マグニチュード9.0の地震及び津波よる災害で、株式会社アマタケの皆様をはじめ、日本の皆様が甚大な被害を受けられたことに対して、心からのお見舞いを申し上げます。
日本の皆様には、以下のご支援を頂いております。
− 校舎2棟8室及び教室備品
− 楽器
− 文具
これらの多大なご寄贈を、私たちは決して忘れません。
最後に、日本の皆様、JHPの皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。同時に、一日も早い復興と一人でも多くの方の命が救われますことを心より願っております。

クデイタコイ小学校校長 コワム・クムニー
2011年3月24日

「お見舞い状」
(クデイタコイ小学校生徒一同)

 私達は、クデイタコイ小学校の生徒です。地震及び津波よる災害で、株式会社アマタケの皆様をはじめ、日本の皆様が甚大な被害を受けられ、多くの犠牲者を出されたことに対して、心からのお見舞いを申し上げます。

 ご支援をいただいた皆様をはじめ、日本の学校の生徒の皆さんと日本の皆さんには、JHPを通じて、校舎、鍵盤ハーモニカやリコーダー、ノートや鉛筆など、これまで多くの支援を頂きました。皆様の温かい思いを私たちは決して忘れません。

 最後に、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。同時に、一日も早い復興と一人でも多くの方の命が救われますことを心より願っております。

クデイタコイ小学校生徒代表 チュム・ソバンバタナック
2011年3月24日


 その他、学校建設チームによる建設後チェックの訪問時に、タケオ県クデイトンテム中学校の皆さんから20万リエル(約50ドル)のご寄付をいただきました。また、同県プラサトスラケオ小学校からもお見舞い状が届いております。
 カンボジアの先生や子ども達からの応援を、被災された皆さまにも確かに伝え、少しでも勇気を持ってもらえるように活動を進めていきたいと思います。

 3月14日にスタートしたJHP救援募金は、3月25日現在、合計912,000円になりました。これらは、第2次隊までの救援活動に有効に使わせていただいております。2回の活動に参加し、車両運転に活躍した立花さんも、地震と津波による被害の惨状を多くの方々に伝えたいと話しております。
 これまで多くの皆さまからご支援をいただきありがとうございます。引き続きご支援をよろしくお願いいたします。

(レポート:中込祥高)

写真@クデイタコイ小学校校長(左)と副校長(右)
写真Aクデイタコイ小学校生徒代表 お見舞い状
写真Bクデイトンテム中学校を代表して寄付してくださる教師の皆さん
写真Cクデイトンテム中学校生徒

(2011-03-26)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第6号(2011年3月25日)

「ヒューマンパワーを南三陸町の救援と復興に!」

 3月25日(金)午前7時30分、途中仮眠を取りながら夜中を走った第二次隊は、目的地の南三陸町に到着しました。ベイサイドアリーナと呼ばれるスポーツ施設に建てられた仮設庁舎を訪問し、佐藤町長にご挨拶。小山内代表から預かった手紙を渡し、同町の救援と復興に向けてJHPが関わらせていただくことを相談しました。
その後、社会福祉協議会の担当者と情報交換を行い、JHPの拠点として、社会福祉協議会関連施設の一室を提供いただくことになりました。
 「ここは拠点としては場所が遠方なので、最低でもバイクは必要。車があればなお活動が展開しやすくなる」
担当の木村さんから早速報告が入りました。
 南三陸町出身の職員芳賀さんのつてで、2〜3日間は小型のダンプカーを借りられることに。その後、芳賀さんのお母様がいる避難所(南三陸町の避難所は満員のため他市町の避難所に滞在)に行き対面することができました。お父様は震災時に同町の病院に入院しており、自衛隊のヘリで救出されて無事と分かりました。
 夕方6時半、木村さんから連絡。明日午後、「南三陸町災害ボランティアセンター」が開設され、JHPはスタッフ側として関わることになり、県の要請で既に入っていた近畿地区各社協3名のサポート役としても、長期的な関わりが求められる状況となっている、との報告でした。
 南三陸町の支援物資は、ベイサイドアリーナに集めています。ここから現在47カ所ある避難所と個別避難者(在宅避難者)に随時届けられているとのこと。災害ボランティアセンターもこの場所に併設されることになります。
 JHPの活動拠点とさせていただいている施設は、12畳程度の広さ。支援物資や滞在備品も置かせてもらっています。治安については、多少不安な情報もあり、
「JHPメンバーについては、オレンジTシャツの着用、ネームプレートを必ずつけて行動し、スタッフとして町の方々から信頼を得られるように関わっていきたい。」
木村さんは、このように話しています。
 本日夕方に行われた社会福祉協議会のミーティングで、JHPがスタッフとして加わることが紹介されました。
 震災から2週間。JHPはこの大震災に対して、被災された方々の心からの悲しみを感じる気持ちを常に持ちながら、南三陸町を拠点に、汗と涙のヒューマンパワーを発揮していきたいと考えております。

(レポート:中込祥高)

(2011-03-26)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第5号(2011年3月24日)

「JHP第二次隊出発!〜活動拠点の設置に向けて〜」

 第一次隊の報告を受けて、3月23日(水)に運営協議会を実施。
仙台市若林区周辺ついても、元田先生と連絡を常に取りながら情報を収集しつつ、新たな調査地域を検討しました。この結果、今回の大震災で甚大な被害を受けた地域の一つである南三陸町が候補地としてあがりました。この地は、職員の芳賀さんの出身地でもあります。
 第二次隊の目的は、同町調査及び活動拠点の設置に決まり、木村さんを中心に長期滞在を視野に入れた準備に取り掛かりました。
23日、もしもの時のために事務所に備蓄していたテント、毛布、寝袋、防寒着、カセットコンロ、食料など、念入りにチェックし、足りないものを調達。
 24日には、各方面の支援者から、カップ麺やミカン、紙おむつ、飲料水などを受け取り、同時に、今後のボランティア作業に必要と思われる清掃用具等も調達しました。
 午後4時過ぎ、第一次隊に参加した立花さんが事務所に到着。職員とボランティアが協力して、7時にはワゴン一杯に積込みが完了しました。
午後7時半、最後に到着したのは、このレポートの第1号でも登場した麻田さんでした。18日まではスリランカで仕事をしていましたが、19日の夜に帰国。
「現場に入る機会があればお手伝いしたい!」
と事務局に連絡があり、過去の経験から派遣が決まりました。
 午後8時、第二次隊はJHP東京事務所を出発。立花さんは25日に一人で戻ることになるため、行きは木村さんがハンドルを握ることに。順調にすすめば、25日朝より南三陸町での調査を開始します。

●JHP第二次隊メンバー(4名)
 木村晋也(東京事務所職員、国際ボランティア・カレッジ事務長)
 芳賀幸子(東京事務所職員、国内事業部長、南三陸町出身)
 立花義之(JHP会員、小山内事務所所属)
 麻田玲 (JHP会員、学生時代に、カンボジア隊、ボスニア隊、中越地震等で活動)

●主な活動内容
 南三陸町周辺の調査及び活動拠点の設置

(レポート:中込祥高)

写真@〜B宮城県本吉郡南三陸町の被災状況
写真CJHP東京事務所から救援物資積込み
写真D積込み作業完了
写真EJHP第二次隊メンバーの4名

(2011-03-24)

JHP・学校をつくる会 東北関東大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第4号(2011年3月22日)

「俺の作ったお米を送りたい!」

 震災後、各地のボランティアから支援の声が届いています。長野県上田市で農業を営む塩澤好太郎さん(愛称:ホンコン)もその一人です。
 「俺の作ったお米役立ちますか?」
そんな電話が3月15日に事務局中込に入りました。

 彼とは、1997年3月、日本海重油事故後のボランティア活動中に出会いました。休憩時間にJHPリーフレットを渡してカンボジアについて話したことがきっかけで連絡を取り合うことに。彼も私もまだ大学生でした。私が事務局で働くようになってから、久しぶりに彼から電話があり、新潟大学4年の最後の春、1999年カンボジア3月隊への参加が決まりました。

 家業を継いで毎日農業に汗を流すホンコン。今すぐにでも東北に入りたい。だけど今できることはお米ではないかと、150Kgを無洗米で送ってくれました。
「ぼく達もがんばります」
米袋に書かれた達筆の文字に彼の気持ちがこもっている。
 ホンコンの汗と気持ちを一緒に積んで、JHPの第二次隊は24日に出発を予定しています。

(レポート:中込祥高)

(2011-03-23)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第3号(2011年3月20日)

「第1次隊活動報告 〜支援物資は仙台市若林区の蒲町小学校に提供〜」

 東北自動車道は、緊急車両以外は宇都宮から通行禁止だったが、高速道路のサービスエリアの一部は営業、給油も可。給油量制限あり。福島県内に入り道路の繋ぎ目部の段差が大きくなり、50キロの制限。
 高速内は様々な都道府県から来た自衛隊、消防、支援物資を積んだトラックが被災地に向かっている。
 昨日9時25分に事務所を出発後、上野で最終的な支援物資を積み、11時に東京を出発、午前4時、仙台南で高速を降り現地へ。
 17日より仙台市内の電気は一部復旧しており、一見街の様子は普通だが、営業前のガソリンスタンドには100台を越える長蛇の列。
 明るくなるにつれ、瓦が落ちている家や塀が崩れている家、ガラスが割れている商店、一部陥没した道路が見られ、震災時の大きさが想像できる。
 午前5時30分、2005年8月隊の元田さんが教員として勤務し、避難所として利用されている仙台市若林区蒲町小学校に到着。
 元田先生や避難所の運営委員、ボランティアの方々と一緒に、トラックに満載した支援物資を降ろし、カップ麺や飲料類、トイレットペーパー等の生活物資を提供。
 元田先生の話では、2日ほど前からやっと電気が復旧したが、ガス、水道はまだ1ヶ月ほど復旧に時間がかかる予定で、簡易トイレはあるが、身体の不自由な方々にとって利用しにくく、不便な点も多い。
 蒲町小学校には多くの方々が避難されていたが、電気が復旧し、自宅に戻る人もあり、現在は約50名が生活。自宅に戻った方に対しても食事の配給は引き続き行っている。近くには他に小学校が2校あり、荒浜小学校は津波により壊滅的となりもうひとつの七郷小学校に避難している(一番の海側に荒浜小学校があり、七郷小学校、次に蒲町小学校がある。現在、通行止めの仙台東部道路が防波堤の代わりとなった。荒浜小学校は東部道路より海側になった為、被害が大きかった)。まだ七郷小学校には1000名以上の避難されている方がおり、今回、支援物資提供を行った蒲町小学校の避難所運営委員の方々に近隣の避難所へもJHP支援物資を分配いただくよう依頼、現在はまだ5キロ先で何が行っているのかがわからない状態だが、確認次第分配していただくこととなった。
 今回、我々が訪問した地域は、開店前のスーパーやスタンドにはまだ長蛇の列が見られたが、物資運搬車の数も多く、改善に向かっているように思われる。
 今後は、支援物資の提供だけではなく、地域復興に関わるボランティアが必要と思われる。

 今回、数多くの方々からのご支援により、被災地に物資を提供することができました。ありがとうございます。また、昨日の積込み作業を手伝ってくださった皆さん、現地までの運搬をお手伝いいただいた、JHP会員の森田さん、立花さん、ご協力ありがとうございました。
 (レポート:木村晋也)

(2011-03-20)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第2号(2011年3月19日)

「JHP救援活動 第1次隊出発!」

 休日の土曜日であったが、本日は午後から事務所を開け、昼にカンボジアから帰国したばかりの木村さん(カレッジ事務長)がさっそく合流してくれました。中込が震災後の現状を報告し、いつでも出発できるように準備を進めることになりました。
 支援物資の調達は、阪神淡路大震災などの救援を指揮した経験のある小山内代表が、横浜鶴見在住の会員の森田富重・幸子夫妻に協力を依頼し、本日16時までにほぼ完了。同時に、車両の手配も進めてくださり、今夜中には出発できる可能性が見えてきました。
 さらに有難いことは、小山内代表が直接連絡を取った渡瀬恒彦さん(俳優・JHP会員。写真一番上)から、カップ麺1000食が到着!(写真上から2番目)。
夕方には、事務局に駆け付けた以下のメンバーで物資リスト作成と積込み作業を行いました。
・小野寺良輔さん(1999年カンボジア12月隊の隊長)
・坪谷麻里子さん、平野歩さん(カレッジ5期生で3月14日にカンボジア研修から帰国)
・古木建さん(NPO推進ネットから派遣された実習生)
この間、古木さんにはボランティア保険の申請、中込は三田警察署で緊急車両の通行許可書の申請を行い、トラックが来るまでに思った以上にすべて手ぎわよく1階正面玄関に下ろす作業も順調に進みました。
 第1次隊のトラックは21時に到着。荷台にホロを取り付け、積み込み作業は、一刻も早く届けてやりたいという全員の気持ちで、なんと15分後には完了という早業でした。
 第1次隊は、仙台に向けて9時25分に事務所を出発! JHP事務所がある読売理工学院ビルの閉鎖時間は21時30分と決まっていたので、本当にぎりぎりの所で間に合いました
 順調に行けば、明日早朝までには仙台に到着し、支援活動が実施できる見込みです。
(レポート:JHP事務局長 中込祥高)

●JHP第一次隊メンバー(3名)
 木村晋也(東京事務所職員、国際ボランティア・カレッジ事務長)
 森田重富(JHP会員)
 立花義之(JHP会員、小山内事務所所属)

●主な支援物資
・飲料水(水、野菜ジュース、ウーロン茶、ポカリスエット等)
・食料(レトルト食品、カップ麺、米、お菓子類等)
・生活用品(ティッシュペーパー、トイレットペーパー、ラップ、手ぬぐい、Tシャツ、おむつ等)

●JHPからのお願い!
※JHPでは、第2次隊以降の輸送(物資及び人員)に必要な車両(2〜4t車)を貸してくださる方(企業、個人)を募集しています。ご協力くださる方は、事務局又は事務局長の中込までご連絡ください。
JHP事務局:03-6435-0812
中込携帯:080-3667-7529

(2011-03-19)

JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
ヒューマンパワー便り 第1号(2011年3月18日)

「熱い汗と涙でヒューマンパワー!」

 3月14日に募金を開始して以来、全国各地の支援者から救援募金が寄せられています。
・麻田玲さん(カンボジア隊、ボスニア隊、中越地震で活躍。現在は、スリランカで国際援助に携わる)
・長谷川奈美さん(1999年カンボジア12月隊。現在は、沖縄で陶芸家として制作に打ち込んでいる)
・小野孝一郎さん(2001年カンボジア3月隊。現在は、愛知の保育園で活躍)
 数え切れないのでこの場では省略しますが、その多くは、学生時代にJHPの国内外の活動に参加してくれた仲間たちが含まれています。
 そして、今までカンボジアの教育支援にご協力をいただいている企業からも、徐々に募金が集まってきています。これらの心温まる募金にJHP本部も日々勇気付けられています。
 一方で、被災に遭った人も数多くいます。仙台市若林区の小学校に勤務し、3年3組の担任の元田さんは、避難所となっている小学校から、小山内代表に1本の電話を入れました。
 「避難所に物資がほとんど来ない。連日、子どもにお握り1個で、それでケンカにしたくないし、水も電気もない。」
 熱い男の涙声での生々しい現状を聞いた小山内代表は、「先ずガソリン不足のため、今すぐに行くことはできないが、今後できるだけ早く支援を開始する」と約束しました。
 18日には、小山内代表が臨時運営協議会を招集し、今川副代表、今川理事(名誉顧問)、岩本理事、吉岡理事、松本理事、青野監事、事務局長中込が話し合いを行いました。本日で震災後1週間が経過。JHP本部は様々な情報から初期活動について検討を重ね、最終的な方針を決定しました。
@初期段階では救援物資の輸送を行う。支援先は仙台市若林区を第一候補地とする。
Aボランティアの受け入れが可能になった段階で、JHP本部よりボランティア派遣を行う。
「JHPは被災者救援と復興のために汗を流す!」
 何ともシンプルでありながら、JHPらしい決意を胸に秘め、多くの皆さまと一緒に活動を行っていきたいと思います。
 引き続き、救援募金へのご協力をよろしくお願いいたします。
(レポート:JHP事務局長 中込祥高)

(2011-03-18)

カンボジアの児童養護施設「幸せの子どもの家(CCH)」(当会が運営支援)所長メチ・ソッカ氏より、小山内代表理事へ東日本大震災のお見舞いメッセージが届きました

小山内美江子JHP代表殿

 CCHの子供たちとスタッフは全員11日金曜日の14:35に宮城県と日本の北部で発生した恐ろしい自然災害が多くの人の命を奪い、多くのインフラや、工場、家を破壊したと聞き大変お気の毒に思っています。

 CCHの子供たちとスタッフはみな日本の犠牲となったすべての方々と悲しみを分かち合いたいと思います。
 CCHの子供たちとスタッフはみな小山内美江子グランマ、お母さんとJHPスタッフの皆さま、すべての日本の方々が津波のような自然災害から無事であることをお祈りします。CCHの子供たち、スタッフはみな皆さまとすべての日本人の方々の安否を心配しています。

 あなたの寛容さと親切なご支援がすべての日本の方々の生命の安全と繁栄をもたらしますように。
感謝とともにご多幸をお祈りいたします。

メチ・ソッカ

(2011-03-16)

東日本大震災に対するJHPからのメッセージ

 この度の東日本大震災につきましては、現時点であまりに多くの方々が犠牲となり、甚大な被害状況の中、いまだに行方が分からない方々も、まだ1万人以上もおられるという状況に、震える気持ちを抑えきれずにおります。
 私たちJHP・学校をつくる会一同、犠牲になられた方々のご冥福を申し上げると共に、津波や火災などですべてを失われた方々にお見舞い申し上げます。同時に、今も救出を待つ方々が一人でも多く、少しでも早く安全な所で再起がはかれますようにお祈り申し上げます。
 JHP東京事務所は、ビルの6階にあり、地震発生と同時に全員が机の下にもぐり、声を掛け合い揺れが収まるのを待ちました。幸い被害は本やパソコン、テレビ等の落下等で済み、スタッフやボランティアに怪我はありませんでした。震度5強でもこのような恐ろしさでしたが、震源に近い地方の方々の恐ろしさはどれほどか想像もつきません。テレビ等の映像で、津波により家や車や飛行機などあらゆるものが流されるのを見て、今なおも現実の事として受けとめることができずにおります。
私たちJHPは、阪神淡路大震災や中越地震などで救援活動を行った経験を生かし、カンボジア等で教育支援の活動を経験した大学生を中心としたボランティアが、この大震災で被害に遭われた方々のために、「できることから」活動できる体制を組めるように情報収集を行い、私たち日本の復興にむけて力を合わせていきたいと考えております。現段階では、私たちが日頃積み立てている「災害救援基金」の拠出を決定し、募金活動を開始しております。
 また、私たちが教育支援を実施しているカンボジアやこれから学校建設を予定しているネパール等からもお見舞いの電話やメールが数々届いております。これらは、私たちJHPの活動を支えてくださった日本の皆さまの気持ちが、海外の人々に届いている結果だと考えております。これらの励ましを胸に留め、皆さまと一緒に、この大震災を乗り越えていきたいと考えております。

平成23年3月14日
JHP・学校をつくる会 代表理事 小山内美江子 副代表 今川純子
                役員並びに東京・プノンペン事務所職員一同


■募金へのご協力は、郵便局備え付けの「郵便払込取扱票」をご利用いただくか、以下の銀行口座までお願いいたします。※銀行振込の場合は事務局(03-6435-0812)までご連絡ください)

【当会は国税庁より認定NPO法人の資格を取得しました。皆様からのご寄付は、税制上寄付金控除の対象になります】

●郵便局の場合
郵便振替口座番号:00110−4−356264(右詰でご記入をお願いします)
加入者名:(特活)JHP・学校をつくる会
※通信欄に、「救援募金」とご記入ください。

●銀行の場合
みずほ銀行 赤坂支店 普通預金:口座番号 1844676
名義:特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会

(2011-03-14)