東日本大震災支援活動 |
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東日本大震災支援・災害救済募金にたくさんのご支援をありがとうございます。当会は国税庁より認定NPO法人の資格を取得しました。皆様からのご寄付は、税制上寄付金控除の対象になります。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告 |
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JHP学校をつくる会は、宮城県南三陸町で2011年3月の震災直後から、ボランティアセンターの立ち上げに始まり、ボランティア派遣や桜植樹プロジェクト、ユニットハウスでの漁師さん支援など、物心両面の支援活動をして参りました。この度は、仮設住宅に暮らすお年寄りを励ます思いを込めて、昨年3月・8月に大好評だった「つるし雛講習会」を、1月22日から24日の3日間にわたって、南三陸町老人福祉センターの一室をお借りして開催いたしました。JHP三島チームは、三島地域のたくさんの方のサポートで数か月前から材料の準備を行い、1月21日、今回現地参加の5名はその全ての材料を積みこんだ車で、静岡から丸一日かけ雪の東北道を北上!福島・仙台は真っ白な雪景色でした。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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南三陸町での復興支援ボランティアに参加させて頂き、また、ボランティア活動への手厚い支援をありがとうございました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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3月11日私は中国の旅行中に震災のことを知りました。帰国後直ぐにでも現地に飛んで行きたいと思いながらも、極度に地震恐怖症の私は東京方面にすら出掛けられなくなっていました。せめても募金活動に立つこと位しか出来ませんでしたが、そんな中飼い犬が寝たきりになり介護生活が始まり、何も出来ないもどかしさだけが渦巻いていました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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南三陸町に近づくにつれて屋根の瓦が剥がれ落ちている家や、瓦礫が流れこんだ畑が見えてきました。そして南三陸町に着いたとき目の前に広がる光景に唖然としてしまいました。海が見えないような海岸から離れた場所にまでも津波の被害が及んでいたのです。鉄骨がむき出しになった建物の上に車や船が打ち上げられ、線路もぐちゃぐちゃになっていて、以前どのような町であったのか想像することは困難でした。しかし少し高台にある建物はほとんど被害に遭っていませんでした。ちょっとした立地の違いで被害の大きさにこれほど違いがあることに非常に強い衝撃を受けました。 レポート:福田祐莉江(明治学院大学3年、2011年カンボジア3月隊、震災ボランティア第7次隊) |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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初めて宮城県南三陸町へ現地入りしたのは、4月16日のことでした。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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「東京にいても自分にできることは何だろう」 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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小山内美江子JHP代表理事を責任者とする第11次隊(佐伯蘭子,佐谷隆一、松本伸夫各理事、立花義之、本田奈津美、中岡宣慶各会員)の7名は15日午前9時、東京・港区のJHP事務所を出発、交通渋滞の全くない東北自動車道を経由して予定通り午後3時過ぎには宮城県南三陸町に到着。活動拠点の一つとなっている災害ボランティア・センターで運営スタッフとして22日まで働くことになっている本田会員を降ろしてJHP現地拠点となっている石巻市桃生町の立花邸に宿泊した。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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JHPの南三陸町での活動は1ヶ月半になろうとしています。今まで途切れることなく継続できているのは、現場で活動しているボランティアさんだけでなく、多くの会員や団体、企業の皆さんのご協力のお陰です。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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4月23日(土)、この日は早朝から雨が降る悪天候。通常よりも2時間早い朝6時に事務所に集合したのは、今川副代表、佐伯理事、鎌田さん(ボランティアカレッジ第3期生)、中込の4名でした。びしょ濡れになりながら軽自動車に荷物を積み込み、首都高を抜けて東北道蓮田SAに7時10分に到着。ここに待っていたのは、炊き出しサポートで南三陸町に向かうJHP社会人ボランティアの赤嶺さんでした。中込以外の3人は、ここで赤嶺さん運転のミニバンに乗り換え、南三陸町へ。第8次隊は往路からタスキリレーのスタートとなりました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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4月12日(火)、南三陸町災害ボランティアセンターに常駐している清国さんから電話が入りました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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毎週土曜日は同じようなレポートばかり…、という声が聞こえてきそうですが、この同じような派遣を続けるだけでも、なかなかの体力勝負になってきています。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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私は3/26〜4/3の間、災害ボランティアセンターの運営という形で地元の社会福祉協議会と近畿ブロックから応援で派遣されてきた社会福祉協議会の皆さんと一緒に、活動してきました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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災害ボランティアセンターの地域支援班として約1週間地域を回り、テレビや新聞を通じて外から町を見るだけでは見られないようなことを多く見ることができました。まず、南三陸町に行く以前は、「東北は被災地である。」「そこに住む方々はみな一律被災者である。」といった構図でしか見ることができませんでした。しかし、避難所を回り被災された方の顔を見て話すことで各避難所でも様子が異なり、被災された方ひとりひとり違うバックグラウンドをもち各々に生活の営みがあるのだということに気づかされました。町で生活している人全員を被災者という一つのカテゴリーでまとめられるものでは無いと思いました。それと、町の人が必要としていることを把握し物資やボランティアを届けることがいかに難しいことか考えさせられました。物資に関しては、例えば、ある避難所が高齢者用の下着を欲しいと発信したとき全国から直接その避難所に下着が届いてしまったら必要な数を遥かに超えてしまう可能性があり、逆に避難所は処理に困り負担になってしまうかもしれません。しかし、だからといってじっくり様子を見ながら対応していては遅れてしまい問題です。また、地域が自分たちの力で物資を調達できる力を持ち始め、自立できそうになってきたときにその地域に必要以上の物資を送り続けてしまったら自助努力できる機会を奪ってしまうことになるかもしれません。日々変化するニーズを捉え対応するということは難しいと感じました。またボランティアに関しては、例えば、地域から散髪をして欲しいという要望がでてきたとき、もしそのコミュニティーの中に散髪できる人がいるのに外部から散髪をするボランティアの人が来てしまったら地域の中で経済が回る機会を摘んでしまうことになってしまうかもしれません。今まで町が必要としていることは何かを表面上でしか考えていませんでしたが、長期的に見て町にとって何がためになるのかを考えなくてはいけないと感じさせられました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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現地に入ったときは、50前後存在しているだろう避難所の把握をしているところだった。ボランティアや物資のニーズに答えるため、足で探し集めてきた情報をデータ化し、業務をマッチングさせるというものだった。しかし未だ確定要素が多く、多数の主体が避難所で独自に動いているなかで、情報整理は困難を強いられた。避難所の存在を把握し、ニーズに対するマッチングを行うが、情報がアナログのためタイムラグが発生し、情報は蓄積されているのにアウトプットする人員不足にも悩まされた。また、物資配送ルートの全貌が掴めていないため、末端の避難所に回らないという問題が生じ、炊き出しの重複の問題も大きな課題となった。そういった対応に日々追われていた。その反面、既に過剰となっている類の物資どう抑えるかということも問題になっていた。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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4月9日(土)午前7時40分、東京事務所のドアの前には、すでに数名のボランティアが集まっていました。集合20分前に待機している学生ボランティアの意気込みがヒシヒシと伝わってきました。到着した人から順次荷積み作業を開始。今日は朝から出発準備と見送りのために川端さん(1999年カンボジア12月隊)、 中村さん(2011年カンボジア3月隊)の2名も集まってくれました。今回は人員輸送がメインであるため、救援物資は必要最小限とし、JHPの拠点に必要な備品や飲料水などが中心となりました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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ヒューマンパワー便り第11号で紹介した甲信食糧且ミ長の中込武文さんより、4月1〜4日まで実施した炊き出し活動の報告が届きました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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今回は、JHP・学校をつくる会から、「被災地とNPOをつないで支える合同プロジェクト」(通称:つなプロ)に参加された方の声をご紹介します。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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4月2日(土)午前8時、第5次隊8名と、同行する三島ロータリークラブの皆さんと石川嘉男さんが東京事務所に集合しました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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3月26日から29日まで、学生ボランティアとして南三陸町へ行ってきました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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4月1日(金)、関東給食会傘下の企業で、カンボジアでのワークキャンプにも毎年参加している甲信食糧梶i代表:中込武文氏)の炊き出し隊が出発しました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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3月28日(月)、前日から借りていた軽バンにて大田区内の支援者を訪問。午前8時15分に、中島クリーニングさんより、ポリタンク13個(灯油は約30リットル)をいただきました。途中で、ポリタンクに灯油90リットルを給油し、9時半に事務所に到着。その後、港区役所で50ccバイクの登録作業を行いました。港区の窓口の方が親切かつ迅速に応対くださり本当に助かりました。これで、輸送後すぐにバイクが使える準備が整いました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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2011年3月27日(日)、カンボジアの首都プノンペンで東日本大震災の被災者を支援するイベントが行われました。「Pray for Japan x Japanese NGO Network」 (「日本のために祈ろうx日本NGOネットワーク」)と題するこの支援活動は、カンボジア国内で活動する日本のNGOの有志が中心となり、プノンペン市当局の協力を得て行われました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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3月26日(土)午前8時、第3次隊メンバー5名が東京事務所に集合しました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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「日本は、戦後の物不足で国民が貧困生活を送っていましたが、カンボジアからお米を支援してもらったことがある…。」 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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3月25日(金)午前7時30分、途中仮眠を取りながら夜中を走った第二次隊は、目的地の南三陸町に到着しました。ベイサイドアリーナと呼ばれるスポーツ施設に建てられた仮設庁舎を訪問し、佐藤町長にご挨拶。小山内代表から預かった手紙を渡し、同町の救援と復興に向けてJHPが関わらせていただくことを相談しました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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第一次隊の報告を受けて、3月23日(水)に運営協議会を実施。 |
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JHP・学校をつくる会 東北関東大震災 活動報告
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震災後、各地のボランティアから支援の声が届いています。長野県上田市で農業を営む塩澤好太郎さん(愛称:ホンコン)もその一人です。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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東北自動車道は、緊急車両以外は宇都宮から通行禁止だったが、高速道路のサービスエリアの一部は営業、給油も可。給油量制限あり。福島県内に入り道路の繋ぎ目部の段差が大きくなり、50キロの制限。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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休日の土曜日であったが、本日は午後から事務所を開け、昼にカンボジアから帰国したばかりの木村さん(カレッジ事務長)がさっそく合流してくれました。中込が震災後の現状を報告し、いつでも出発できるように準備を進めることになりました。 |
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JHP・学校をつくる会 東日本大震災 活動報告
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3月14日に募金を開始して以来、全国各地の支援者から救援募金が寄せられています。 |
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カンボジアの児童養護施設「幸せの子どもの家(CCH)」(当会が運営支援)所長メチ・ソッカ氏より、小山内代表理事へ東日本大震災のお見舞いメッセージが届きました |
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小山内美江子JHP代表殿 |
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東日本大震災に対するJHPからのメッセージ |
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この度の東日本大震災につきましては、現時点であまりに多くの方々が犠牲となり、甚大な被害状況の中、いまだに行方が分からない方々も、まだ1万人以上もおられるという状況に、震える気持ちを抑えきれずにおります。 |