アフリカへ毛布をおくる運動・参加者レポート2010
「『今』の積み重ね」東京学芸大学教育学部3年 井口 歩
モザンビークから帰国し半年が経った。振り返ってみて一番感じるのは、「今」
から逃げては駄目だということだ。
今回アフリカ隊に応募したのは「未来を担う子ども達に世界の様子を伝えられる先生になりたい」という目標に近づく一歩になると思ったからだ。これから三十年教壇に立つ者として、現在のアフリカを自分の目で見ることができるなんてまたとない機会だと思った。
派遣国はモザンビーク。HIV/AIDS感染者への毛布配布が活動の中心だった。活動の中で出会った人々は、想像していた以上に大変な状況に置かれていた。HIV/AIDSに感染しコミュニティから疎外されてしまった人々、病気のため働きたくても身体が思うように動かない、女性であるため仕事に就けない人々、たくさんのエイズ孤児。現地で活動するスタッフから「次回モザンビークに来た時、今日会った人にはもう会えないかもしれない」と言われる日もあった。本やテレビで散々紹介されている事なのに、今助けなければ救えない命があることをこんなに実感したのはこれが初めてだった。
帰国してしばらく「教師になって子ども達に伝える」というこれまでの目標が何もできない自分への言い訳のような気がしていた。日本の子ども達に伝える間にも命を落とす人はたくさんいる。人に伝えたからといって支援に繋がるとも限らない。自分にできることは本当にそれだけなのだろうかと悩む日々だった。しかし結局どんなに考えても答えは同じだ。私には現地で働けるだけの知識も経験もないし、遠回りだったとしても、たくさんの人に伝えることは必ず大きな力を生むと信じている。それよりも「今」どれだけ真剣に物事に取り組めているかが問題ではないか、と最近思うようになった。今、私は自分の経験をどれだけ還元できているだろうか。そう考えたとき、「先生になってから行動しよう」と、現在は自ら行動を起こしていない自分が見えた。同じ年代である今だからこそ若者の心に響くのかもしれない、経験して時間の経っていない今の方が伝わるかもしれないのに、これまで私は何をするにもどこか逃げ腰だったなと思う。「今」自分ができる精一杯を積み重ねていく事こそが一番大切なことである、というのが悩んだ末での私の答えだ。ひとに伝える機会を少しでも多くもつこと、日本で何ができるのかを考え、実行する仲間を増やすことなど、今の私にもできることはたくさんあるはずだ。人見知りでリーダーシップの無い私には勇気のいることだが、少しずつ逃げずに歩んでいける自分でありたい。
『親子からのメッセージ』 東京海洋大学大学院後期課程1年 都築 啓太
アフリカ毛布ボランティアでの活動を終え、帰国して半年が経ちました。私にとってこの機会は、アフリカが、自分が、何を必要としているのか考える事のできる貴重な機会でした。まず、支えてくださった皆様には、私がカンボジアに続いてこのような経験ができたことを心から感謝したいと思います。
アフリカで体験した一番衝撃的な出来事についてフォーカスして書きたいと思います。それは一言で言うなら『目の前の人を笑顔にできなかったこと』です。
現地へ赴く前、私の中の想像では、「海外の人が生活に役立つプレゼントを直接持ってきてくれたら誰だって嬉しいはず。しかも、アフリカ人は陽気である。みんなが歌って踊って歓迎してくれるはず。」そう思っていました。
もちろんその想像が180度違ったという訳ではなく、どの配布先でも私たちの乗るバスが見えると、人々は歓迎の歌を歌い、陽気に踊って迎えてくれました。私たちが毛布を抱えて彼らの居るすぐ側まで辿りつき、荷紐をほどいて毛布が見えた時には、もう全体が歓喜の渦の中、お祭り状態であることも少なくありませんでした。その後、毛布は一枚一枚手渡しで受益者に渡されます。名前を呼ばれ、手渡された人の顔には笑みがこぼれました。
その中でも忘れられなかった体験、それが『笑顔にできなかったこと』です。彼は足が悪く薄汚れた包帯をしていました。次は、私が毛布を渡す番、名前が呼ばれるとその彼が手を上げました。私は近づき、手に持った毛布を笑顔で渡します。しかし彼は表情を変えませんでした。彼は毛布を受け取ると静かに自分の持ってきた手提げ袋にしまいました。その隣には彼の子供がいました。その子供も何が起っているのか、わからないという顔で私の目を見つづけています。子供の顔を見つめる私。無表情でした。そうしているうちに父である彼は自分の傷口に巻いてある包帯を外しました。すると、その足の裏から踝にかけて、ひどく化膿していました。あまりの痛々しさに目を避けそうになりました。正直、何もできませんでした。そして彼は私の目の前で右の手のひらを上にむけました。つまりは、「お金くれ」という意味でした。私は彼の肩をなでることしかできませんでした。
私が幼少の頃は外国人を見ると珍しくてワクワクしていた。カンボジアの学校で会った子供たちがそうであったように、見たこともない顔、髪型の人間が来たら少なくとも喜んでくれました。アフリカでも自分が何もできなくとも、最低限それくらいはできるだろうと思っていました。しかしHIVに感染し、抵抗力が落ちていた彼の場合はそれさえままならなかったのでしょう。
このような現状を見て感じたこと、人間が幸せな生活をするために必要なものは、まずは元気や気力。そのためにも、やはり『健康第一』なのだと感じました。モザンビークはHIV患者が多く、実際は公式に発表されている割合を遥かに超える人がかかっているといいます。また一般の男性でも雇用の不足が著しく、よって病気にかかってしまった人や、女性が働くことは現状ではかなり難しいそうです。その結果収入が得られず貧困状態になってしまいます。その貧困が健康な生活を蝕んでいるのであり、解決策がなくじり貧なってしまう。これは生まれた環境で決まってしまった運命も部分も多いと思います。生きるのに必死で努力しているのは彼らなのに、報われない理由の大半はただ命を授かった場所が違うからなのか・・・受け入れ難いですが、これも一つの現実だと思いました。
今回の活動の中で私が最も衝撃を感じ、読んでくださる人に知って頂きたかった一部分に焦点を当ててお伝えしました。
今でもあの親子の事をよく思い出します。何か私に語りかけていたと思います。クリアな結論は出ませんが、彼らのメッセージをこれからもよく考えたいと思います。
「アフリカ隊活動記録」 東京大学三年 横井瑠衣
「貧困の中で生きていくということ」―その実態を知りたいと思ったことがアフリカ隊へ参加するきっかけでした。去年の九月にフィリピンで見たゴミ山。一面、白いガスに覆われた真っ黒な山。入り口のほうには、拾ってきたゴミを売るために仕分けをしている人がいました。けれど旅行会社のボランティアツアーで、中にまでは立ち入れなかったため、ここで働く人たちがいったいどんな風に毎日を送っているのか、上手く想像できず、自分の生活からは切り離されたものとして感じてしまいました。
やはり活動を通して、現地の人と交流したい。そして彼らの生活実態やニーズを少しでも汲み取ることが出来ればと思い、アフリカ隊へ応募しました。
モザンビークの人々の性格はとても明るく、私たちがバンで、毛布の配布場所へ行くと、到着するや否や、子どもも大人も歌やダンスで暖かく歓迎してくれました。しかし、彼らが直面している現状はとても過酷なものでした。
今回の配布対象者のほとんどは、HIVエイズ感染者の人々でした。モザンビークではHIVエイズが蔓延しています。しかし医療環境が整っていないため、妊娠をしてはじめて病院へ行き、その時にHIVエイズに感染していることが発覚するというパターンが多いそうです。感染が発覚した女性は、家族や親戚から差別を受け、家から追い出されてしまうこともあります。しかし一人身の女性が行うことのできる仕事は、モザンビークではそう多くはありません。根強い差別のために、支援の手もあまり伸びて来ず、HIVエイズ患者同士のコミュニティで助け合っているような状況です。HIVエイズにより両親を失ってしまったHIVエイズ孤児の子どもたちも多くいます。こうして差別が貧困を生み、負のサイクルが起こっているのです。
彼らの生活の厳しさを実感させられた体験もありました。これは物的支援に付きまとう問題ではありますが、毛布は数が限られているため、配布先に集まった全員に配布出来るわけではありません。主に地元NGOが中心となって、より生活に困窮している人が対象となるよう、事前に選定しています。しかし選ばれなかった人が豊かな暮らしをしているわけでは決してありません。ある配布先では、もらえなかった人が不満を露わにし、ちょっとした暴動になりかけたこともありました。
また、HIVエイズと結核を併発している、ある配布対象者の女性は、今までで一番幸せだったことを尋ねると、淡々とした表情で「特にない」と答えました。このような過酷な現状に対して、私に出来ることなどあるのだろうかと思ってしまいました。
しかし、やはりモザンビークの将来にも「希望」を見出すことが出来ました。それは活動中に目にした、本当に多くの数の子どもたちです。彼らの多くがHIVエイズ孤児であるということも悲しい事実ですが、それでもモザンビークには、大きなマンパワーが眠っているということだと思います。子どもたちに教育の機会や不自由のない生活環境を提供し、人材を育てていくことが、国の発展のために不可欠なのだと思います。けれど地元NGOのメンバーも述べていたように、今はまだ自立のための「移行の時期」。継続的な支援が必要です。
だから私は、帰国後も自分に出来ることを続けていきたいと思っています。今は活動報告会や大学の授業などで、モザンビークの現状を伝える活動をしています。また、現在私は就職活動を始めたところですが、企業を調べる際、必ずCSR活動などの企業が行っている社会貢献活動についても目を通すようにしています。様々な分野から、様々な支援の仕方があるということに気付きました。今後は、現状を伝えること以外にも、自分にできることを模索していきたいです。
最後に、このような機会を与えて下さったJHP関係者の皆様や、立正佼成会の関係者の皆様に大変感謝致します。