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「思うことがあれば飛び込めば良い」 2006年8月隊参加者 中島有紗
出発前、「後○日で出発だね!」と張り切っている様子の活動隊の皆を尻目に、私は「どうしよう。出発が近づいてきた・・・」というしり込みしたい気持ちでいっぱいでした。8月隊の選考に受かり、とても嬉しかった反面、気持ちは少し複雑でした。
高校生や大学1・2年の時は、皆で何かひとつのことに取り組み、皆でいつも一緒にいることに大きな安心感を覚えていた私。それがいつの間にか、「自分は自分」、「いつも自分のペースでいられる人になりたい」と、ひとりで行動したり、じっと考えたりすることに居心地の良さを感じるようになっていました。それが大人なんじゃないか、なんて思っていた矢先、長かった大学生活の最後の夏をどう過ごそうかと考えたとき、JHPのカンボジア活動隊のことが頭に浮かびました。高校生の時に小山内代表が私の学校にいらして講演してくださったその時から、ずっと心に引っかかっていたJHP。そのカンボジア活動隊に参加しないで良いのか。本当に後悔しないだろうか。そんな思いが強くよぎりました。また大学院で国際協力論や国際関係学について勉強し、色々な理論や知識ばかり身につけても、実際は何も実践できてはいないのではないか。そんな思いから思わず8月隊にエントリーしたのです。
そんな私の不安な気持ちを変えてくれたのは、出発前のイベントのお手伝いに行った時に事務局の方が言って下さった、「頭でっかちに色々なことばっかり考えてないで、思うことがあれば飛び込めば良い」という言葉です。そうだ!別にごちゃごちゃ考えずに、せっかく選考に受かって自分に与えられた大切なチャンスなのだから、初心に戻ってまっさらな気持ちで飛び込んで行こう。カンボジアにも活動隊のメンバーにも思い切りぶつかっていこう。そう決意して出発の日を迎えました。
といっても、性格はなかなか変えられないもの。最初は、素の自分を出すことが出来ず、皆のハイテンションについていけず・・・。一歩皆から引いて皆をどこか客観的に見て、自分らしくこの隊のメンバーになるには、どうしたら良いのだろう、ということばかり考えていました。でも泥だらけになって、炎天下で穴掘りしたり、三食同じご飯を皆で分かち合ったり、たくさん語り合ったお陰で、少しずつ素の自分を出せるようになりました。そしてキリングフィールドやトゥールスレーン収容所を訪問したり、CCHの子どもたちに出会って、私は自分がうじうじ悩んでいたことをとても小さく感じました。人と正面からぶつかっていくこと。そこには喜びも苦労もあるけれど、喜びは2倍に、苦労は半分になる。仲間ってやっぱり良いじゃないか。そんなことをひしひしと感じた、カンボジアの1ヶ月間でした。そして今では、こんな大切な仲間が出来たことを心から誇りに思っています。皆、有難う!!
そして何か自分がカンボジアのためにした、というより、カンボジアに成長させてもらった1ヶ月間でもありました。カンボジアから帰国して以来、これまで当たり前だと思っていたことに感謝する気持ちを、意識的に大切にしています。それは、繰り返しのように見える毎日であっても、実は、明日を心配せずに生きることが出来るという、とんでもなく幸せでとんでもなく恵まれた状況に自分がいるということに、気付かされたからです。私の目の前に広がる無数の選択肢。それは善く生きるのも何となく生きるのも、自分次第ということです。自分がこれからどう歩んでいくべきなのか、それを考えさせてくれる大切な時間となりました。
このような貴重な体験を与えてくださった小山内代表をはじめ理事の方々、東京・プノンペン事務所の皆さん、応援してくださった先輩方、会員の皆様、本当に有難うございました。特に出発前からたくさんお世話になった七條さんと清國さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
「学校寄贈CCHのサポーターになって」 学校建設支援者 金丸幸世
21世紀になっても、まだ地球上には戦争や内戦などが絶えません。また貧困に喘いでいる発展途上国や、戦争後も戦争によって破壊つくされ復興のため、大変な国もあります。
私は、30年来の持病のため、寝込んでいる日が多く身体は使えませんが、こんな私でも少しは何かにお役にたてる事はないかとずっと考えてまいりました。
ある日病院の待合室で見た雑誌にJHPの活躍ぶりを書いた記事がのっていました。カンボジアのことはポルポトの政権下で200万とも300万ともの人々が虐殺され、とくに文化人や知識人が殺されたうえに、学校や寺院などが破壊つくされたと聞いておりました。
JHPの活躍を雑誌で読み大変感動しました。特に小山内先生の地球的規模でものをお考えになることや、JHPの活動の素晴らしさに大変敬意を持ち、JHPこそ私の今まで求めてきたものだと感じました。小学校を少しでも多くカンボジアに作ることが必要だ、ということがよくわかりました。
さっそく六本木の事務所に電話を致しまして、JHPの活動をもっと知りたいと申し上げ、そのうえ私は病身で事務所まで行けないと言いましたら、理事の立石様と事務局長の吉岡様が、私の所へ来て下さいました。そして、活動の様子を丁寧に説明して下さり、カンボジアに関する本を読みたいと申し上げましたら、立石様がすぐに数冊の本を送って下さいました。小山内先生とこの方々の誠実な態度に、ますます信頼感が強くなり、私が日ごろいだいていた夢をお願いしようと思いました。
まず小学校をお願い致しました。そしてJHPで協議のすえプレイベーン県のクランスコー小学校に決まりました。それ以来工事がはじまり、工事の進行状況を知らせて下さる書類や写真が何度も送られてきて胸をわくわくさせながら写真を見ておりました。
プレイベーン県の学校建設地に行く道は、水につかっている時が長く交通が大変とのことで、現地スタッフの方は大変なご苦労だったと思います。でも建設は順調に進み平成15年8月に完成し、贈呈式は9月13日になりました。私も飛んで行きたい思いでしたが、病身で行くことが出来ず、事務局長の吉岡様に贈呈式のご挨拶を代読して頂くことになりました。吉岡様は、帰国後すぐに私の所にいらして下さり、式の様子をいろいろお話下さり沢山の写真とビデオを持ってきて下さいました。小山内先生、スタッフの皆様ほんとうにありがとうございました。
また、プノンペンに小山内先生が孤児院を建設され、サポーターを募っていると聞き、私も参加させて頂きました。
私は小学校6年生の時終戦になりました。兄は戦死し、姉は女学生でしたが軍需工場に動員されて爆弾で亡くなりました。東京の郊外に住んでいましたが離れた所に軍需工場の本社があり、そのため毎日のように空爆があり、多くの人が亡くなり、私の家も破壊され、食糧難で私は細くやせた栄養失調児でした。
カンボジアのゴミ山でゴミ拾いをして生きている少年少女がとても人ごとに思われません。CCHのみなさんの写真を見ると、夫も亡くなり子どもも孫もおりません私は、孫が沢山出来たようにどの少年少女も可愛くてなりません。時々JHPを通して来るお手紙や可愛い絵に私が慰められています。
どうぞCCHのみなさん健康に気をつけて、それぞれの夢にむかって勉強し、自立した人間となり将来カンボジアを担う人になって下さい。そして地球的視野に立ってものを見る人間になって下さい。
「自己内省と自己成長」社会人 曽田みふゆ
JHPに主人と共に入会したのが2005年5月。この間何度か六本木の事務所にお手伝いに行きカンボジアから帰国した若者達の話を耳にするにつれ、私も1ヶ月間彼等と共に行動したいと言う思いに駆られ、2006年8月隊に参加することを決心した。しかし出発が近付くにつれ、若い人達の中にただひとり半世紀組として参加することに不安を覚え、逡巡しながらの旅立ちとなった。その不安は見事に適中し、着いて直ぐに「果たして29日間も持つだろうか?」と、早くワープして帰国の日を迎えたいことばかりを考えて過ごしていた。
日本にいる時はあっと言う間の1日であり、1週間、1ヶ月であるのに、カンボジアでは時間が過ぎるのがじれったい程に遅く感じられる。苦しかった。そんな時は6日目に訪れたトゥールスレーンのことを考えていた。あの狭い独居房、雑居房の冷たい鉄のベッドで拷問を受け、恐怖と押し潰される程の絶望の中で、いずれは処刑される運命にあった人々…彼等は私とは到底比較出来得ない、気も狂わんばかりの想像を絶する苦しい時を過ごしていたに違いない。いずれは温かい家族の待つ日本に帰れる私が1ヶ月を我慢出来ない訳がない、そう自分に言い聞かせていた。
しかし1日中自由のない団体生活、学生でもスタッフでもない微妙な立場、若者達とのギャップの中で、嫌と言う程自分と向き合わざるを得なかった。これ程無力感に襲われたこともついぞなかった。そのピークは自分の所属する班のブランコ作りの最終日に訪れた。スコールが近付き僅かな時間で仕上げなくてはならないという殺気だった雰囲気の中、私は何も出来ずにただオロオロするばかりであった。私は何も役に立っていないのではないか。私は遥々ここまで何しに来たのか。その夜の班の反省会では自分の無力感に不覚にも涙が零れてしまった。それが場の空気を変える切っ掛けとなった。それまでは本音を避け皆が表面的な話しかしてこなかったのだが、その後ひとりひとりが時には涙ぐみながら真摯に心の内を語り、カンボジアに来て3週間目にして私は漸く若者達と心が触れ合った気がした。若い彼等もそれぞれがそれぞれの壁にぶつかって悩んでいたのだ。自分だけではなかった。皆の心がひとつになった感動的な瞬間であった。
帰国を数日後に控えたある日、NHKの「プロフェッショナル」という番組の中で、「人間は逆境に立たされた時、脳の神経回路は欠点さえも長所に変えて乗り越えようとする。どん底で本当の自分を曝け出すことで共感を得る。」と言っているのを聞き、正に私は天からの啓示のように自分に当て嵌めて考えてみた。半世紀組の私が正直に自分の弱さを曝け出したことで、皆は共感し、親近感を覚えてくれたのかも知れない。オレTに書いてくれたメッセージに「隊にいてくれて良かった。」「助けられた。」「癒された。」と書いてくれたのを読んだ時、あぁ私は彼等にしっかりと受け入れられていたのだ、と涙が溢れた。
この活動隊に参加して、戦争は絶対にいけないこと、そして戦争の不条理さを痛い程に感じてきた。人を憎むことは簡単だが理解しようとすることは難しい。しかし相手の立場を思い遣ることが出来たら争いは少なくなるであろうことを身を以って体験してきた。この隊で学んだことをどう繋げていくかは今後の私の課題である。
帰国後2〜3週間はカルチャーショックか、カンボジアで観てきた数々の悲惨な現状は暫くの間私の胸に重く圧し掛かり、頭の中が整理出来なかった。だが、それも冷静に振り返られるようになった帰国後2ヶ月近くを経た今、「人は人でしか磨かれない。」の言葉通り、私はあの葛藤の中から僅かでも人として成長出来たような気がしている。そして辛かったけど活動隊に参加して良かったと、今は心の底から思っている。
「カンボジアの母」と慕ってくれたみんな!これからの貴方達の成長と活躍を私はずっと見守っていくつもりです。ありがとう!!みんな!そして全ての人に感謝!!
「国際ボランティア・カレッジを受講してみて」坂本由美
2006年7月、私はカンボジアのシェムリアップという都市を旅行しました。素晴らしく豪華なホテルに泊まり、おいしい食事を食べ、そして極めつけには、世界遺産・アンコール遺跡群の観光。普段の慌ただしい現実を忘れさせてくれる、夢のような時間を過ごしました。
しかし、なぜか私の頭の中に残ったものは、現地の人々、特に子どもたちの生活の風景でした。トンレサップ湖に向かって流れる川の両岸には、多くの人々が舟の家で暮らしており、そこで私は一人の少年を目にしました。彼は、一寸法師のような小さなお椀状の舟を漕ぎながら私たちの舟に近づき、満面の笑顔で私に声をかけてきました。思わず私も嬉しくなって笑い返したのですが、よく見ると、地雷の被害に遭ったのか、彼には片腕がありませんでした。また、アンコールワットで出会った子どもたち。彼らは「買ってください!」「1ドル!」などと、片言の日本語を話しながら、懸命に物を売ろうとしていました。目が合うと、私たちが車に乗り込むまでずっとついてくるのです。
(2006年7月にカンボジアの)現状を目の当たりにし、私の中で「一体これはどういうことなんだろう。」という疑問が湧き上がり、世界の現状をもっと知りたくなりました。そして、たまたまインターネットで見つけた情報に「えいっ!」と勢いに任せて飛びついだのが、ボランティアカレッジとの最初の出会いです。説明会において、小山内代表の温かい人柄、JHPのアットホームな雰囲気に惹かれてすぐさま申込みを決め、聴講生として受講をスタートしました。
何よりも驚いたのは、講師陣の素晴らしさです。小山内代表をはじめ、各界のリーダーたちが名を連ねており、当初は自分のような人間が参加するのは場違いではないかと尻ごみする思いもありました。しかし、講義を受けるにつれ、講師の先生方の一つの物に懸ける熱い思いに心が突き動かされ、いつしか毎週土曜日が自分にとってワクワクする「お楽しみ」の日となっていました。
講義の内容は、カンボジアやアフリカなど途上国の現状や歴史、NPOの運営、災害救援ボランティア活動、人権問題、現場での実務スキル、文化についてなど本当に様々。普通に生活をしていたら絶対に関わることのないような世界に触れ、どんどん自分の視野が広がっていくのがわかりました。
それぞれの講義を受けたことで、自分の中で確かになったことが一つあります。それは、自然災害を除いた紛争・差別・貧困などの世界におけるあらゆる問題は、必ず人と人との間で生じるということです。そして、人が生み出したものだからこそ、人の手によってでしかそれを解決もしくは改善することはできないのです。シンプルですが、私にとっては衝撃的な気づきでした。ですから、決して「自分なんてそんな器じゃない。」などと可能性を狭めてしまわず、どんなに小さなことでもできるところから行動していくことが大切であり、そこに必ず意味は生まれるのだと、今は確信しています。
国際協力とは、ボランティアとは何か。そして、自分が立ち向かおうとしているものは一体何なのか。ただ単に「困っている人を助けたい。役に立ちたい。」と漠然と思っていた私に、国際協力へのアプローチ方法は一方向ではなく、幾通りもあるのだということを、カレッジは教えてくれました。小山内代表が大切にされている「地球市民」という考え方。ここで出会った講師の先生方、スタッフの方々、そして共に学んだ受講生の皆さん。私はまさに「地球的」視野を持った、熱く、そして温かい人たちと時間を共有することができたと感じています。